イタリア半島のゴシック建築とは? わかりやすく解説

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イタリア半島のゴシック建築

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 09:27 UTC 版)

ゴシック建築」の記事における「イタリア半島のゴシック建築」の解説

イタリア半島では、概してゴシック建築への反応冷淡なものであったが、フランシスコ会ドメニコ会活動によって、13世紀中期から、北、および中央イタリアある程度導入されるようになったゴシック建築影響受けたイタリア最初建築物は、1228年起工されたアッシジサン・フランチェスコ聖堂である。ロマネスク建築見られる単廊式平面であるが、尖頭リブ・ヴォールトとこれを支え束ね、そして内部空間一貫性は、ゴシック建築取り入れた独創性の高いものとなっている。ただし、フランスゴシック建築のように、薄い壁を形成するための構造的な努力はまった見られず、また、フレスコ画を描くために都合が良いためと思われるが、イングランドのような壁を彫り込むような造形への関心も薄い。従って、サン・フランチェスコは、ゴシック建築というよりも、ゴシック建築造形取り入れることによってロマネスク建築伝統から脱却した教会堂であると言える13世紀になっても、イタリアで典型的なゴシック建築はめずらしい存在であった1230年頃に着工されパドヴァのサンタントニオ大聖堂ロマネスク建築ビザンティン建築混成様式であるし、1250年頃に起工されたシエーナ大聖堂などは、ファサードを除くとほとんどロマネスク建築のままであるオルヴィエート大聖堂も、ファサード美しゴシック芸術作品であるが、内部シエーナと同じロマネスク建築である。 ただし、ゴシック建築空間が全く無視されていたわけではない13世紀イタリアでゴシック建築とみなしうる教会堂フィレンツェ存在するドメニコ会1279年創建したフィレンツェサンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂は、以後トスカーナ地方建設されるゴシック建築きわめて大きな影響力持った教会堂建築であった側廊が高いため小さな丸いクリアストーリしかない身廊は、装飾がほとんどなく、柱間広くとられているので、フランスゴシック建築比べてゆったりとして簡素な印象である。 サンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂のようなゴシック建築スタイルは、以後トスカーナゴシック建築受け継がれた。これは1300年頃に設計されフィレンツェサンタ・クローチェ聖堂と、1294年着工されサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂身廊見れば明らかである。サンタ・クローチェ聖堂造営フランチェスコ会よるもので、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂には規模的にやや劣るものの、北ヨーロッパ大聖堂匹敵する大きさである。シトー会修道院建築から着想されたと思われるデザインで、これを構想したのはサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂同じくアルノルフォ・ディ・カンビオであると考えられている。両教会堂簡素広々とした空間は、しばしばフランスゴシック建築美意識対立するものとみなされルネサンス建築先駆けとも評される1322年から開始されシエーナ大聖堂拡張工事も、完成していれば、おそらくトスカーナゴシック建築最良作品のひとつになった考えられる北イタリアでは、14世紀初頭まで宗教建築そのものがあまり重要性を持たなかったが、ビザンティン建築伝統から脱却しつつあったヴェネツィア共和国では、他の北イタリア先駆けて、やはり修道会によってゴシック建築導入される14世紀初頭起工されたドミニコ会サンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ聖堂と、フランシスコ会により1330年頃に起工されたサンタ・マリア・グロリオーサ・ディ・フラーリ聖堂が、その代表的な建築物である。 14世紀後半になると、北イタリアでもようやく大規模な宗教建築建立されるようになる1387年には、イタリア・ゴシック建築で最も有名なミラノ大聖堂の建設始まった。この大聖堂は、中世建築物としては非常に珍しいことだが、設計過程から職人との詳細なやり取りまで、建設関わる綿密な記録残っており、イタリアのみならずフランスドイツでのゴシック建築対す認識を知ることができる。構造美術的な審議1401年から始まりパリから招かれ審議員はフランス伝統古典ゴシック形態を、ドイツ人審議員は突き抜けるような垂直性の高いプロポーションを、イタリア審議員は幾何学から導かれる幅の広いプロポーション主張したことが読み取れる結果的に、この大聖堂イタリア独自のゴシック建築というよりも、各国ゴシック建築美意識取り入れた折衷的性格の強いものとなっている。しかし、1858年まで延々と工事行ってきたにもかかわらず全体として完成度はたいへん高く19世紀追補されたファサード部分ゴシック・リヴァイヴァル最高傑作として名高いイギリスゴシック建築 イギリスではゴシック建築12世紀末から16世紀中頃までと、ヨーロッパで最も長く展開した。さらにその伝統は19世紀まで途絶えることなく18、19世紀ゴシック復興もそれに起因したといえるゴシック特徴のひとつであるリブ・ヴォールトイギリスいち早く採用したが、本格的なゴシックフランスからもたらされた。しかし高さと垂直性を求めたフランスとは異なりイギリス志向ヴォールトなどの創りだす豊穣空間性にある。 イギリスでは、フランス工匠サンスウィリアムカンタベリー大聖堂東端部を盛期ゴシック様式で建て、以後この様式がチチェスターウィンチェスター大聖堂一部採用されたのち、ウェルズ大聖堂リンカン大聖堂などでイギリス独特の形式完成した。すなわち、これらの大聖堂身廊部が比較長大平性強く東端部がフランス大聖堂のように半円形でなく直角に切られ西正面には装飾的な障壁設け、また修道院起源のものが多かったため、クロイスター回廊)と八角形あるいは十角形参事会員堂を備えていた。こうしたイギリス独自の様式を「初期イギリス式ゴシック」と呼んでいる。 イギリス大聖堂多く修道院付属し街なかから離れて建ち修道院参事会会堂などと複合体をなしている。平面バシリカ形式だが、幅に対して奥行き大きく、とくに内陣部分長く取られる時期的変化は、ヴォールト狭間飾りによく示されている。通常その発展初期イギリス式装飾式、垂直式テューダー式の4期にわけられるが、ひとつの時期完成された例は少ない。

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