イタリア半島のゴシック建築
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「ゴシック建築」の記事における「イタリア半島のゴシック建築」の解説
イタリア半島では、概してゴシック建築への反応は冷淡なものであったが、フランシスコ会とドメニコ会の活動によって、13世紀中期から、北、および中央イタリアである程度導入されるようになった。 ゴシック建築の影響を受けたイタリア最初の建築物は、1228年に起工されたアッシジのサン・フランチェスコ聖堂である。ロマネスク建築に見られる単廊式の平面であるが、尖頭リブ・ヴォールトとこれを支える束ね柱、そして内部空間の一貫性は、ゴシック建築を取り入れた独創性の高いものとなっている。ただし、フランスのゴシック建築のように、薄い壁を形成するための構造的な努力はまったく見られず、また、フレスコ画を描くために都合が良いためと思われるが、イングランドのような壁を彫り込むような造形への関心も薄い。従って、サン・フランチェスコは、ゴシック建築というよりも、ゴシック建築の造形を取り入れることによってロマネスク建築の伝統から脱却した教会堂であると言える。 13世紀になっても、イタリアでは典型的なゴシック建築はめずらしい存在であった。1230年頃に着工されたパドヴァのサンタントニオ大聖堂はロマネスク建築とビザンティン建築の混成様式であるし、1250年頃に起工されたシエーナの大聖堂などは、ファサードを除くとほとんどロマネスク建築のままである。オルヴィエートの大聖堂も、ファサードは美しいゴシック芸術の作品であるが、内部はシエーナと同じロマネスク建築である。 ただし、ゴシック建築の空間が全く無視されていたわけではない。13世紀イタリアでゴシック建築とみなしうる教会堂がフィレンツェに存在する。ドメニコ会が1279年に創建したフィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂は、以後トスカーナ地方で建設されるゴシック建築にきわめて大きな影響力を持った教会堂建築であった。側廊が高いため小さな丸いクリアストーリしかない身廊は、装飾がほとんどなく、柱間が広くとられているので、フランスのゴシック建築に比べてゆったりとして簡素な印象である。 サンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂のようなゴシック建築のスタイルは、以後トスカーナのゴシック建築に受け継がれた。これは1300年頃に設計されたフィレンツェのサンタ・クローチェ聖堂と、1294年に着工されたサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の身廊を見れば明らかである。サンタ・クローチェ聖堂の造営はフランチェスコ会によるもので、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂には規模的にやや劣るものの、北ヨーロッパの大聖堂に匹敵する大きさである。シトー会の修道院建築から着想されたと思われるデザインで、これを構想したのはサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂と同じくアルノルフォ・ディ・カンビオであると考えられている。両教会堂の簡素で広々とした空間は、しばしばフランスのゴシック建築の美意識と対立するものとみなされ、ルネサンス建築の先駆けとも評される。1322年から開始されたシエーナの大聖堂拡張工事も、完成していれば、おそらくトスカーナのゴシック建築の最良の作品のひとつになったと考えられる。 北イタリアでは、14世紀初頭まで宗教建築そのものがあまり重要性を持たなかったが、ビザンティン建築の伝統から脱却しつつあったヴェネツィア共和国では、他の北イタリアに先駆けて、やはり修道会によってゴシック建築が導入される。14世紀初頭に起工されたドミニコ会のサンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ聖堂と、フランシスコ会により1330年頃に起工されたサンタ・マリア・グロリオーサ・ディ・フラーリ聖堂が、その代表的な建築物である。 14世紀後半になると、北イタリアでもようやく大規模な宗教建築が建立されるようになる。1387年には、イタリア・ゴシック建築で最も有名なミラノの大聖堂の建設が始まった。この大聖堂は、中世の建築物としては非常に珍しいことだが、設計過程から職人との詳細なやり取りまで、建設に関わる綿密な記録が残っており、イタリアのみならず、フランス、ドイツでのゴシック建築に対する認識を知ることができる。構造と美術的な審議は1401年から始まり、パリから招かれた審議員はフランス伝統の古典ゴシックの形態を、ドイツ人の審議員は突き抜けるような垂直性の高いプロポーションを、イタリアの審議員は幾何学から導かれる幅の広いプロポーションを主張したことが読み取れる。結果的に、この大聖堂はイタリア独自のゴシック建築というよりも、各国のゴシック建築の美意識を取り入れた折衷的性格の強いものとなっている。しかし、1858年まで延々と工事を行ってきたにもかかわらず、全体としての完成度はたいへん高く、19世紀に追補されたファサード部分もゴシック・リヴァイヴァルの最高傑作として名高い。 イギリスのゴシック建築 イギリスではゴシック建築が12世紀末から16世紀中頃までと、ヨーロッパで最も長く展開した。さらにその伝統は19世紀まで途絶えることなく、18、19世紀のゴシックの復興もそれに起因したといえる。ゴシックの特徴のひとつであるリブ・ヴォールトをイギリスはいち早く採用したが、本格的なゴシックはフランスからもたらされた。しかし高さと垂直性を求めたフランスとは異なり、イギリスの志向はヴォールトなどの創りだす豊穣な空間性にある。 イギリスでは、フランスの工匠サンスのウィリアムがカンタベリー大聖堂の東端部を盛期ゴシック様式で建て、以後、この様式がチチェスター、ウィンチェスターの大聖堂の一部で採用されたのち、ウェルズ大聖堂、リンカン大聖堂などでイギリス独特の形式を完成した。すなわち、これらの大聖堂は身廊部が比較的長大で水平性が強く、東端部がフランスの大聖堂のように半円形でなく直角に切られ、西正面には装飾的な障壁を設け、また修道院起源のものが多かったため、クロイスター(回廊)と八角形あるいは十角形の参事会員堂を備えていた。こうしたイギリス独自の様式を「初期イギリス式ゴシック」と呼んでいる。 イギリスの大聖堂の多くは修道院に付属し街なかから離れて建ち、修道院や参事会会堂などと複合体をなしている。平面はバシリカ形式だが、幅に対して奥行きが大きく、とくに内陣部分が長く取られる。時期的な変化は、ヴォールトと狭間飾りによく示されている。通常、その発展は初期イギリス式、装飾式、垂直式、テューダー式の4期にわけられるが、ひとつの時期で完成された例は少ない。
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