サンタ・クローチェ聖堂とは? わかりやすく解説

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サンタ・クローチェ聖堂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/20 23:50 UTC 版)

ジョット・ディ・ボンドーネ」の記事における「サンタ・クローチェ聖堂」の解説

初期ルネサンス彫刻家ロレンツォ・ギベルティによると、ジョットは4家族依頼に応じてフィレンツェのサンタ・クローチェ聖堂の礼拝堂装飾画を描いたとされているが、ギベルティ聖堂存在するどの礼拝堂のことかは特定していない。ヴァザーリは、ジョットが手がけたのはバルディ礼拝堂の『聖フランシス生涯』、ペルッツィ礼拝堂の『洗礼者ヨハネ福音記者ヨハネ生涯』、現在はアメリカ・ノースカロライナ州の美術館所蔵祭壇画聖母聖者』、現存していないジーニ礼拝堂の『使徒物語』、スピネッリ礼拝堂の『聖母物語』であるとしている。ジョットの他の事跡同様に、このサンタ・クローチェ礼拝堂装飾に関して制作年議論になっている聖堂主礼拝堂の右隣りにあるバルディ礼拝堂装飾画は通常の湿式フレスコ技法描かれており、構成スクロヴェーニ礼拝堂壁画に近い。このことから、バルディ礼拝堂装飾画はスクロヴェーニ礼拝堂壁画同年代ごろに描かれ一方ペルッツィ礼拝堂装飾画の構成は、より複雑なものになっているためより後年になってから描かれたと考え学者もいる。バルディ礼拝堂隣接するペルッツィ礼拝堂装飾画は、大部分乾式フレスコ技法のセッコで描かれている。セッコは通常の湿式フレスコ比べて制作時間が短くてすむ反面経年変化弱く現存している作品のほとんどは保存状態が非常に悪い。バルディ礼拝堂装飾画がジョット初期の作品であるとする学者たちは、アッシジのサン・フランチェスコ大聖堂上堂描かれた「ジョット風」壁画構成がよく似ていることを指摘する一方でバルディ礼拝堂装飾画にはそれまで見られない色使い繊細さがあるとする。このことは、ジョットおそらくはシエナ派芸術影響受けて新し芸術方向性見出した証で、その後自身芸術発展つながったとしている。 ペルッツィ礼拝堂洗礼者ヨハネの生涯題材とした『父ザカリアへの受胎告知』、『ヨハネ誕生』、『ヘロデの宴』の三組のフレスコ画は、福音記者ヨハネ生涯三つ場面描いたエフェソスでのヨハネ回想』、『ドルシアナの復活』、『福音書記者ヨハネ昇天とともに礼拝堂左壁面に描かれている。これらの題材選ばれ背景には、出資したペルッツィ家とフランシスコ修道院両方意向反映されている。これらの絵画保存状態も非常に悪くジョット技法作風について論じるのは困難ではあるが、ジョット特有の抑制され自然主義描写人物の内面描写感じられるペルッツィ礼拝堂装飾画はルネサンス期において非常に著名であり、マサッチオ描いた貢の銭』を初めとするフィレンツェのサンタ・マリア・デル・カルミネ大聖堂ブランカッチ礼拝堂壁画大きな影響与えミケランジェロもこの装飾画を研究していたことが知られている バルディ礼拝堂描かれている聖フランシスコ生涯題材にした装飾画は、これより20から30年前描かれとされるアッシジのサン・フランチェスコ大聖堂上堂壁画用いられている図像学との対比において、特に学者興味をひいてきた。両所絵画群を比較すると、ジョットバルディ礼拝堂装飾画を描くにあたって人物表現と画面構成にいかに大きな注意を払っているかが明確になるジョットバルディ礼拝堂装飾画の題材として聖人生涯における七つ場面選択しているが、描かれているのは聖書そのまま物語というわけではない。聖人一連の物語左壁面上部の『聖フランシスコと父との絶縁』から始まる。以降礼拝堂左壁面と右壁面それぞれを囲むようにフランシスコ修道会認可』、『聖フランシスコ試練』、『アルルでの出現』、『聖フランシスコの死』、聖フランシス死後描いた『フラ・アゴスティーノとアッシジ司教追想』へと続いていく。フランシス生涯でいうと『アルルでの出現』と『聖フランシスコの死』の間の年代にあたる『聖痕を受ける聖フランチェスコ』はチャペル外側入り口上部アーチ描かれている。このような配置構成壁画観るものに、左右壁面ごとの二組の壁画として、あるいはそれぞれの壁面における三組の壁画として鑑賞することを勧める視覚的効果がある。そしてこれらの視覚的効果が、鑑賞に対してフランシスコ生涯における様々な出来事象徴的に結びつける重要な役割果たしているといえる

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サンタ・クローチェ聖堂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/14 05:27 UTC 版)

フィレンツェ歴史地区」の記事における「サンタ・クローチェ聖堂」の解説

詳細は「サンタ・クローチェ聖堂 (フィレンツェ)」を参照 14世紀後半完成したゴシック様式聖堂建築家アルノルフォ・ディ・カンビオ設計である。世界最大フランシスコ会教会堂内には、ミケランジェロガリレオ作曲家ロッシーニなどの著名なイタリア人の墓が多数あることでも知られている。

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