サンタチェチリア‐イン‐トラステベレ‐せいどう〔‐セイダウ〕【サンタチェチリアイントラステベレ聖堂】
サンタ・チェチリア・イン・トラステヴェレ聖堂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/26 08:02 UTC 版)
「トラステヴェレ」の記事における「サンタ・チェチリア・イン・トラステヴェレ聖堂」の解説
サンタ・チェチリア・イン・トラステヴェレ聖堂 (Basilica di Santa Cecilia in Trastevere) の起源は曖昧である。そもそも聖女チェチリアは詳細な年代は不明なものの2世紀中盤あたりに殉教し、6世紀以降に音楽の守護聖人として崇敬されてきた人物であるが、この聖堂の建つ場所に生前の邸宅があったという伝説により5世紀ごろ掲題の名称で呼ばれるようになった。 聖女の遺骸は当初カタコンベに埋葬されていたが、9世紀にパスカリス1世により、現在まで続く聖堂の建立とともに聖堂内に移葬された。以降、何度も改装されているが、現存する後陣のモザイクは創建当時の姿をとどめるという。 聖堂内にはピエトロ・カヴァリーニ作のフレスコ画『最後の審判』や、ステファノ・マデルノ(en)による聖女チェチリアの殉教を題材とした大理石彫刻も所蔵されている。ちなみにこの彫刻のモデルは1599年に掘り起こした聖女チェチリアの遺骸であり、それはまったく腐敗していなかったという話である。
※この「サンタ・チェチリア・イン・トラステヴェレ聖堂」の解説は、「トラステヴェレ」の解説の一部です。
「サンタ・チェチリア・イン・トラステヴェレ聖堂」を含む「トラステヴェレ」の記事については、「トラステヴェレ」の概要を参照ください。
- サンタ・チェチリア・イン・トラステヴェレ聖堂のページへのリンク