イタリア再上映
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 13:43 UTC 版)
「怪獣王ゴジラ (映画)」の記事における「イタリア再上映」の解説
ルイジ・コッツィ ヴィンス・テンペラ 1977年にルイジ・コッツィ(英語版)が『怪獣王ゴジラ』をカラー化し、センサラウンド(英語版)に類似した磁気テープ方式のサウンドトラックを使用したバージョンをイタリアで上映した。このカラー版は「Godzilla」のタイトルで上映されたが、コッツィや彼のファンは「Cozzilla」の通称で呼んでいる。通称の由来はコッツィが雑誌に投稿する際のペンネームであり、後に再上映する際の製作会社名にも採用された。コッツィによると、東宝はカラー版の権利をトルコに渡していたという。また、彼は『怪獣王ゴジラ』のカラー化が映画史上で白黒映画をカラー化した最初の作品だったとも語っている。 元々コッツィは1976年に公開した『キングコング』の成功に便乗する形で、『怪獣ゴルゴ』の再上映を企画していた。しかし、「製作会社のキング・ブラザース・プロダクション(英語版)が余りにも高額な金額を要求したため」権利の購入を断念したという。そのため、コッツィは次の候補として『ゴジラ』の権利購入を目指したが、東宝からは『怪獣王ゴジラ』のネガフィルムしか提供できないと返答された。彼は『怪獣王ゴジラ』のネガフィルムを購入したものの、地方の配給会社から白黒映画であることを理由に上映を拒否され、再上映を実現するためにフィルムのカラー化を思い付いた。フィルムのカラー化のために東宝と再交渉を行い承認を取り付け、この中で「カラー化されたネガフィルムの権利は東宝が独占的に所有する」という条件が盛り込まれた。しかし、当時のイタリアでは映画の上映時間は90分間と決められていたため、コッツィは上映時間を確保するため15分間の追加映像を挿入した。 追加映像の挿入に際し、コッツィは意図的に戦争映画から死と破壊の映像を取り入れた。これは古い映画を「最新の、より暴力的な姿」にしたいという考えによるものだった。フィルムの編集中、コッツィは『怪獣王ゴジラ』の映像と一致しない映像があることに気付いたが、「違和感よりも効果の方が大きい」という理由でそのまま映像をフィルムに取り入れた。また、『大列車作戦』『The Day the Earth Caught Fire』の映像も取り入れており、さらにコッツィが個人的に所有していた16mmフィルムから『原子怪獣現わる』『ゴジラの逆襲』の映像もオマージュとして使用している。コッツィは映画の宣伝のためにカラー化と70mmフィルムを意味する「Spectrorama 70」という単語を作り出し、「『Godzilla』再上映用資料に大きな印象を与える助けになった」と語っている。 映画音楽は『怪獣王ゴジラ』のオリジナル版を再加工し、新しい音楽と効果音を追加したものを使用している。さらにコッツィは上映館にセンサラウンド効果と特殊な巨大スピーカーを設置した。追加音楽の作曲はヴィンス・テンペラ(イタリア語版)が手掛けており、「マグネティック・システム」という別名を使い、個人所有の電子ピアノを使い作曲している。彼らはゴジラ映画のファンだったため、コッツィからのオファーを快諾したという。コッツィがシンセサイザーを採用したのは映画に「現代的な姿」を与え、観客にオリジナルのシーンと新規シーンの違いが明確に分かるような音楽にしたいという考えからだった。再上映時にはヴィンス・テンペラの追加音楽が45回転レコード(後に33回転レコード)として発売された。 コッツィはエンゾ・ニストリに『Godzilla』の宣伝ポスターの作成を依頼し、このポスターは後にファンゴリア(英語版)の表紙に採用された。カラー作業はアルマンド・ヴァルコーダが一人で行い、コッツィは師であるアルベルト・モーロと共に編集作業に当たった。カラー化作業はストップモーション・ゲラ撮影で1コマずつ行われ、公開を急いだため3か月間で作業は完了した。コッツィによると、カラー化された35mmフィルムと東宝から譲り受けたオリジナルの35mmネガフィルムは、ミラノのヤマト・ビデオが所有しており、同社は『ゴジラ』『怪獣王ゴジラ』『Godzilla』のDVD化を企画していたという。しかし、『ゴジラ』のDVD化に財務的な理由で失敗したため、これら3作品のDVD化企画は頓挫している。
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