かんじざいおういん‐あと〔クワンジザイワウヰン‐〕【観自在王院跡】
観自在王院跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/18 04:37 UTC 版)
旧観自在王院庭園 | |
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![]() 舞鶴が池 | |
分類 | 浄土式庭園 |
所在地 | |
面積 | 四囲東西約120メートル、南北約240メートル |
現況 | 年中開放(無料) |
アクセス | 平泉駅 徒歩7分 |
観自在王院跡(かんじざいおういんあと)とは、岩手県の平泉に藤原基衡の妻[1]が建設した寺院跡。
境内跡は「毛越寺境内 附 鎮守社跡」(もうつうじけいだい つけたり ちんじゅしゃあと)の一部として国の特別史跡[2]、庭園は「旧観自在王院庭園」(きゅうかんじざいおういんていえん)として国の名勝に指定されている[3]。2011年(平成23年)6月26日、「平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―」の構成資産の一つとして世界遺産に登録された[4]。
概要
毛越寺に隣接している。1189年(文治5年)以後は荒廃し、水田となっていた。
約160×260mの南北に延びる寺域の北部に2つの阿弥陀堂があり、中央部に園池があった。その寺域にある平安時代末期の庭園は1973年(昭和48年)から1976年(昭和51年)にかけて発掘・復元されている。数少ない平安時代の庭園遺構として評価されている。
文化財
特別史跡
- 毛越寺境内 附 鎮守社跡 - 1922年(大正11年)10月12日、史跡に指定。1952年(昭和27年)11月22日、特別史跡に変更。2005年(平成17年)7月14日、追加指定および名称変更[2]。
名勝
- 旧観自在王院庭園 - 2005年(平成17年)3月2日指定[3]
世界遺産
- 「平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―」の構成資産の一つ。2011年(平成23年)6月26日登録[4]。
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入口
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中島
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州浜
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石組、舞鶴が池
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大阿弥陀堂跡の拝殿と祠
出典
- ^ 高橋富雄氏は観自在王院を建立したとされる女性を「基衡妻」とするのは誤記で、基衡の父・清衡の妻の一人であった(=「基衡母」)という独自の見解を示している。
- ^ a b 毛越寺境内 附 鎮守社跡(1922年〈大正11年〉10月12日指定、1952年〈昭和27年〉11月22日特別史跡、史跡)、国指定文化財等データベース(文化庁) 2014年7月11日閲覧。2005年(平成17年)7月14日、追加指定および名称変更。
- ^ a b 旧観自在王院庭園(2005年〈平成17年〉3月2日指定、名勝)、国指定文化財等データベース(文化庁) 2014年7月11日閲覧。
- ^ a b “Barbados enters World Heritage List with Bridgetown and its Garrison; Hiraizumi (Japan) and Germany’s Beech Forests also inscribed” (英語). UNESCO News Archive. ユネスコ (2011年6月25日). 2011年6月26日閲覧。
関連項目
外部リンク
観自在王院跡
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詳細は「観自在王院跡」を参照 観自在王院跡(かんじざいおういんあと)は、平泉町に残る遺跡で、名勝に指定されている。世界遺産登録IDは1277rev-003 (Kanjizaiô-in Ato) である。 観自在王院は藤原基衡の妻によって建立された寺院だが、1573年に焼失した。昭和時代の二度にわたる発掘調査(1954年 - 1956年、1972年 - 1977年)と、修復事業(1973年 - 1978年)によって、当時の姿を偲ばせる庭園が復元された。毛越寺とは南北道路を隔てて隣接しているが、その毛越寺の庭園に比べ、優美ではあるものの簡素な意匠であることが指摘されている。 現在も基衡の妻の命日である5月4日には、その死を悼んで始まったという「哭き祭り」(なきまつり)という祭事が行われている。
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