むりょうこういん‐あと〔ムリヤウクワウヰン‐〕【無量光院跡】
無量光院跡
名称: | 無量光院跡 |
ふりがな: | むりょうこういんあと |
種別: | 特別史跡 |
種別2: | |
都道府県: | 岩手県 |
市区町村: | 西磐井郡平泉町 |
管理団体: | 平泉町(大12・12・13) |
指定年月日: | 1922.10.12(大正11.10.12) |
指定基準: | 史3 |
特別指定年月日: | 昭和30.03.24 |
追加指定年月日: | 平成20.03.28 |
解説文: | 一ニ新御堂トシ基衡ノ子秀衡ノ建立スル所ニシテ宇治平等院ニ模セルモノナリ近時鐵道敷設ノ爲ニ其ノ一部壞滅ニ歸セシモ土壇土壘礎石及庭石等殘存シ堂塔苑池ノ舊規略推知スベク藤原氏ノ盛時ヲ憶ハシムルモノ多シ 無量光院は吾妻鏡によれば、藤原秀衡が建立したものであり、宇治平等院を摸したという。寺跡は大字平泉字花立の地域にあり、ほぼ東面して存し、東西約800尺南北約900尺の寺域を有する。昭和27年、文化財保護委員会が調査した結果、本堂は正面5間側面4間で、左右に桁行折れ曲り、延長9間梁間1間の翼廊が連繞し、中島には栗石が一面に敷設され、三箇所に建物の存したことが明かにされ又苑池は本堂及び翼廊の前面に設けられて中島を配し、しかもこの池は本堂翼廊の背後にも繞くことが認められ、堂宇庭園の規模が宇治平等院に類似していることが立証された。 平安時代後期における寺院跡において、その規模の明かにされたもの少く、本寺院跡はこの種の示例に一基準を与えるものとして学術上の価値はきわめて高い。 |
無量光院跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/15 02:10 UTC 版)
無量光院跡 | |
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![]() 無量光院跡と金鶏山 | |
種類 | 史跡、浄土式庭園 |
所在地 | 岩手県西磐井郡平泉町平泉花立 |
座標 | 北緯38度59分34秒 東経141度6分56.5秒 / 北緯38.99278度 東経141.115694度座標: 北緯38度59分34秒 東経141度6分56.5秒 / 北緯38.99278度 東経141.115694度 |
登録日 | 1955年(昭和30年)3月24日 |
無量光院跡(むりょうこういんあと)は、岩手県平泉町にある史跡である。
無量光院は、藤原秀衡が京都の平等院を模して建立した寺院であった。当時は平等院の規模をも上回る煌びやかな寺院であったが、度重なる火災で焼失し、今日では土塁や礎石が残るのみである。
寺院跡は「無量光院跡」として国の特別史跡に指定されている[1]。2011年(平成23年)6月26日、「平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―」の構成資産の一つとして世界遺産に登録された[2]。
沿革

平安時代末期に奥州一帯(現在の東北地方)に勢力を振るった奥州藤原氏は、初代清衡が中尊寺、二代基衡が毛越寺を造営した。そして三代秀衡が建立したのが無量光院である。無量光院は奥州藤原氏の本拠地平泉の中心部に位置し、『吾妻鏡』にも無量光院の近くに奥州藤原氏の政庁・平泉館があったと記載されている。
『吾妻鏡』文治5年9月17日(1189年10月28日)条[3]によれば、無量光院は京都府宇治市の平等院を模して造られ、新御堂(にいみどう)と号した。新御堂とは毛越寺の新院の意味である。発掘調査の結果、四囲は東西約240メートル、南北約270メートル、面積約6.5ヘクタールと推定され、平等院よりも規模が大きかったと推定される。
本尊は平等院と同じ阿弥陀如来で、地形や建物の配置も平等院を模したとされるが、中堂前に塼(せん)[4]を敷き詰めている点と池に中島がある点が平等院とは異なる。本堂の規模は鳳凰堂とほぼ一致だが、翼廊の長さは一間分長い。建物は全体に東向きに作られ、敷地の西には金鶏山が位置していた。配置は庭園から見ると夕日が本堂の背後の金鶏山へと沈んでいくように設計されており、浄土思想を体現していた。
現状
奥州藤原氏の滅亡以降、無量光院は度重なる火災で焼失し、今日では土塁や礎石が残るのみで[5]、跡地には松林が広がっている。1952年(昭和27年)に行われた発掘調査によって、本堂や庭園の規模や配置が明らかになり、『吾妻鏡』の記述が裏付けられた。1955年(昭和30年)に国の特別史跡に指定された[1]。2012年(平成24年)より中島と池の復元・整備が進められている[6]。
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中島の本堂跡
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本堂前には塼(せん)が敷き詰められていた
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翼廊跡
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本堂があった中島へ渡るための北小島
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復元された導水路
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復元された岬と入り江
文化財
特別史跡
- 無量光院跡 - 1955年(昭和30年)3月24日、史跡から種別変更。2004年(平成16年)9月30日および2006年(平成18年)1月26日、追加指定[1]。
世界遺産
- 「平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―」の構成資産の一つ。2011年(平成23年)6月26日登録[2]。世界遺産登録後、文化庁や県では、庭園及び寺院の本格復元を含めて検討することにしている。
脚注
- ^ a b c 無量光院跡 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- ^ a b “Barbados enters World Heritage List with Bridgetown and its Garrison; Hiraizumi(Japan) and Germany's Beech Forests also inscribed” (英語). UNESCO News Archive. ユネスコ (2011年6月25日). 2011年6月26日閲覧。
- ^ 一、無量光院号新御堂事:「秀衡建立之、其堂内四壁扉、図絵観経大義、加之秀衡自図絵狩猟之体。本仏者阿弥陀丈六也、三重宝塔、院内荘厳、悉以所模宇治平等院也。」
- ^ 素焼きのタイル
- ^ 1952年(昭和27年)、文化財保護委員会(現・文化庁)により本堂跡及び中島の発掘調査が行われ、礎石建物跡や庭石、土塁や土壇などの遺構が良好に保存されていることが明らかになった。
- ^ “無量光院跡第46次現地説明会資料”. 平泉町 (2019年10月19日). 2024年6月7日閲覧。
関連項目
- 浄土式庭園
- えさし藤原の郷(岩手県奥州市) - 伽羅御所に無量光院の模型が縮尺1/4で再現されている。
- 永福寺跡
- 日本の世界遺産
- 世界遺産の一覧 (アジア)
- 日本の特別史跡一覧
- 北海道・東北地方の史跡一覧
- 岩手県の観光地
外部リンク
無量光院跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 08:09 UTC 版)
詳細は「無量光院跡」を参照 無量光院跡(むりょうこういんあと)は特別史跡に指定されている巨大な阿弥陀堂跡で、世界遺産登録IDは1277rev-004 (Muryôkô-in Ato) である。 『吾妻鏡』は藤原秀衡が宇治の平等院鳳凰堂を模して建立したと伝えており、1952年の発掘調査の結果もそれを支持するものであった。平泉で京都の様式を全面的に模した寺院が建立されたのはこれが初めてで、京都に比肩する北の王都を建造しようという秀衡の意図の表れと指摘されている。 もちろん、浄土思想の色彩が強い平等院の模倣は、浄土を表現する意思の現われとも指摘されている。建立に当たっては、当初から西方極楽浄土が強く意識され、庭園、阿弥陀堂、背後の金鶏山が東西方向に並ぶように配置されている。その空間配置は、世界遺産への推薦に当たっても浄土式庭園の最も発展した形とされた。
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