平泉 - 浄土思想を基調とする文化的景観
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「平泉」の記事における「平泉 - 浄土思想を基調とする文化的景観」の解説
2006年7月の文化審議会で世界遺産に推薦されることが決定し、登録名が「平泉 - 浄土思想に関連する文化的景観」と変更された。この名称は同年9月の文化庁による再検討の結果、「平泉 - 浄土思想を基調とする文化的景観」と微調整され、2006年12月26日に最初の推薦書がパリの世界遺産センターに提出された。このときの構成資産は中尊寺、毛越寺、無量光院跡、金鶏山、柳之御所遺跡、達谷窟(以上平泉町)、白鳥舘遺跡、長者ヶ原廃寺跡(以上奥州市)、骨寺村荘園遺跡と農村景観(一関市)の9件であり、登録名にもあるように、周辺の自然環境と寺院群によって浄土が再現された文化的景観としての申請であった。 日本政府は以下の世界遺産登録基準に基づいて推薦した。 (3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。 (4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。 (5) ある文化(または複数の文化)を代表する伝統的集落、あるいは陸上ないし海上利用の際立った例。もしくは特に不可逆的な変化の中で存続が危ぶまれている人と環境の関わりあいの際立った例。 (6) 顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文学的作品と直接にまたは明白に関連するもの(この基準は他の基準と組み合わせて用いるのが望ましいと世界遺産委員会は考えている)。 具体的には、基準 (3) は浄土思想に基づく独自の文化的伝統の優れた例証である点に、基準 (4) は浄土思想を体現した仏教建造物群や庭園群に、基準 (5) は骨寺荘園遺跡周辺の農村景観が当時の絵図そのままに残されている稀有な例であることに、基準 (6) は平泉の文化遺産が当時の浄土思想を伝えるものである点に、それぞれ適用できるとしていた。 2007年8月27日から29日には、ICOMOS の専門家ジャガス・ウイーラシンハが現地を視察した。彼はスリランカ人の美術史家・考古学者である。ICOMOS はその視察結果も踏まえて2008年5月に「登録延期」を勧告した。その勧告においては、保全状況などに問題がないとされた一方で、日本側が主張した4つの基準の適用については、全て証明が不十分であるとされ、中国や韓国との比較研究も不十分とされた。同時に、むしろ寺院などの建築様式の独自性とその影響関係を強調し、構成資産を整理したうえで、基準 (2) を適用すべきではないかとの意見も付された。 2008年7月の第32回世界遺産委員会では、日本は前年に「登録延期」勧告を覆して「石見銀山遺跡とその文化的景観」の登録を果たした時と同じように、積極的な働きかけを行なった。そのときに示した補足説明では、平泉の豊かな黄金が「黄金の国ジパング」伝説のきっかけになったとされることや、戦没者の魂を敵味方で区別をせずに浄土に導こうとした中尊寺、およびその延長線上にある平泉の造営意図が、ユネスコ憲章の精神にも通じることなどを示し、逆転での登録を目指した。しかし、 ICOMOS の勧告を覆すには至らず、「登録延期」と決議された。 逆転を果たせなかった理由としては、すでに挙げた ICOMOS の勧告内容のほか、「シリアル・ノミネーション」(連続性のある資産)として9物件を申請したものの、それらが個別に点在し、統一性のある文化的景観として説得的に提示しきれなかったことや、巻き返しを狙った日本政府の強い働きかけが2年連続となって反発を招いた側面もあったことなど、いくつか挙げられている。 日本政府が推薦して登録が認められなかった物件は平泉が初めてであり、暫定リスト記載物件を抱える、あるいは暫定リスト入りを目指していた日本の他の自治体にも衝撃を与え、関係者からは「平泉ショック」などと呼ばれたりもした。2006年と2007年に文化庁が全国の自治体に呼びかけた世界遺産候補の公募を、2008年以降に打ち切ったことと、この「平泉ショック」を結びつける見解もある。
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