平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 08:09 UTC 版)
「平泉」の記事における「平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―」の解説
登録延期が決まった直後、文化庁などの関係者は、2011年の再審議を目指し、他の文化遺産の推薦をそれに優先させることはないと発表した。 推薦資産を浄土思想の建造物群だけに限定することについて、専門家の中には平泉を過小評価するものという意見も見られたが、「登録延期」決議を踏まえて再検討をした結果、日本政府や岩手県は ICOMOS の勧告に従い、基準 (2) に基づく推薦に切り替えることを2009年に決めた。そのため、登録名を「平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―」と変更し、ICOMOS から除外すべきと指摘されていた達谷窟、白鳥舘遺跡、長者ヶ原廃寺跡、骨寺村荘園遺跡の4件の除外を決め、残る6件の資産で再構成することになった。 除外された4件は、平泉が世界遺産リストに登録された後に拡大登録を目指すことになった。ただし、骨寺村荘園遺跡などは当初推薦要素に含まれていなかったにもかかわらず、文化的景観として推薦するうえで必要な資産として、国や県が地元に打診して追加したという経緯があるために、地元の受け止め方は複雑なものがあったとも指摘されている。 練り直された推薦書は2010年(平成22年)1月18日に世界遺産センターに提出された。同年9月8日から9日に ICOMOS の委員ワン・リジュン(中国)が現地を視察し、その結果を踏まえて2011年(平成23年)5月7日に ICOMOS による勧告が行われた。それは「登録」を勧告するものではあったが、浄土思想と日本固有の思想の融合を示す遺跡とは認められない柳之御所遺跡を除外し、登録名から「考古学的遺跡群」を外すべきだとの意見が付けられていた。また、日本が主張していた登録基準 (2), (4), (6) の適用に対し、基準 (4) は認められないとした。 (4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。 日本政府は、浄土を地上で表現しようとした作庭自体が国際的にも稀有なことと主張し、この基準が適用できるとしていた。しかし、ICOMOS の勧告は、同時期の朝鮮半島の庭園を根拠に世界史的意義について否定するものであった。 平泉の文化遺産は2011年(平成23年)6月19日から29日に開催された第35回世界遺産委員会(パリ)で審議され、6月26日(現地時間:6月25日)に世界遺産リストへの登録が決議された。登録名の「考古学的遺跡群」(Archaeological Sites / sites archéologiques) は審議の結果残されたものの、構成資産から柳之御所遺跡が除外されることは避けられなかった。 登録を受けて岩手県知事の達増拓也は、世界遺産委員会の場でスピーチを行った。その中では以下のように、2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)から3ヶ月あまりという時期に登録されたことの意義と感謝が表明されている。 平泉は12世紀に、悲惨な戦争の惨禍から立ち上がり、永続的な平和を打ち立てるために建設されました。創設の父たちは、シルクロードを通って外国から導入された種々の思想を役立てました。したがって平泉の登録は、平泉の建設のもともとの理念に立ち返りながら、3月11日の惨禍からの復興という途方もない任務に現在直面している私たちに対し、大きな勇気を与えてくれるものです。 — 達増拓也、 同年7月3日には中尊寺で「平泉世界文化遺産登録、東北復興祈願金色堂参拝」が行われ、そこで達増拓也により「東北復興平泉宣言」が発表された。これは世界遺産委員会でのスピーチと同じように、平泉創建の理念が東北復興の精神的支柱となることを、復興に向けた決意や支援への感謝とともに示したものである。
※この「平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―」の解説は、「平泉」の解説の一部です。
「平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―」を含む「平泉」の記事については、「平泉」の概要を参照ください。
- 平泉―仏国土を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―のページへのリンク