骨寺村荘園遺跡と農村景観
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 08:09 UTC 版)
詳細は「骨寺村荘園遺跡」を参照 骨寺村荘園遺跡(ほねでらむらしょうえんいせき)は、一関市本寺(ほんでら)地区に残る中世の荘園跡で、2005年に一部が史跡に指定された。現在の地区名「本寺」は「骨寺」が変化したという説もある。 藤原清衡の時代、骨寺村の荘園は蓮光(れんこう)という僧侶の私領だったが、蓮光が中尊寺経蔵の別当に任命されると、経蔵の所領として寄進したという。この荘園遺跡の特殊な点は、中尊寺所蔵の重要文化財『陸奥国骨寺村絵図』(むつのくにほんでらむらえず)との関係にある。この絵図は鎌倉時代の成立と推測され、『吾妻鏡』の叙述とも一致する要素を含んでいる。本寺地区は大規模な開発にさらされることがなかったため、いまなおその絵図に描かれた荘園景観と一致する景観を多く保存しているのである。この景観を構成する山王窟、駒形根神社、伝ミタケ堂跡、大師堂、要害館跡など11件が史跡に指定されている。 一関本寺の農村景観 詳細は「一関本寺の農村景観」を参照 骨寺村荘園遺跡が残る本寺地区は、冬の北西からの季節風を防ぐためのイグネ(屋敷林)を備えた農家が散在する景観など、昔ながらの農村景観が保存されている地区でもある。この「一関本寺の農村景観」(いちのせきほんでらののうそんけいかん)は、2006年に重要文化的景観として選定された。 最初の世界遺産推薦前には、中世の絵図の姿がそのまま残る地区としての特殊性が日本国内の専門家から評価され、文化的景観としての推薦に欠かせない要素として、国や県が地元に参加を求める形で構成資産に加えられた。しかし、2008年のICOMOSの評価では、荘園遺跡の景観が顕著な普遍的価値を持っているという証明が不十分とされた上、中尊寺経蔵と結びつきがあるだけでは浄土思想と結びついていると言うには足りないとして、否定的見解が示された。この結果、2008年から2009年の構成資産の再検討の中で、推薦物件から一度除外し、拡大登録を目指すことが決定された。 2012年に拡張登録候補としてユネスコ世界遺産センターの暫定リストに掲載された際、10年以内に登録するとして調査研究費用が計上され、折り返しとなる5年目の2017年に推薦書素案を文化庁へ提出予定であったが取りまとめることができず、5年間の研究継続となった。その10年目にあたる2022年になり、拡張登録検討委員会が拡張登録の可能性として柳之御所遺跡のみ、もしくは柳之御所遺跡と骨寺村荘園遺跡およびその農村景観の二ヶ所に絞り込む案を提示し、同年夏頃までに方向性を決めるとした。このことで達谷窟・白鳥舘遺跡・長者ヶ原廃寺跡の拡張登録の可能性が消滅するか、将来的な再拡張の機会を窺うことになる。研究予算給付は2022年で終了するため、当年度内で原案を示さねばならない。
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