とろ‐いせき〔‐ヰセキ〕【登呂遺跡】
登呂遺跡 (静岡県)
登呂遺跡
名称: | 登呂遺跡 |
ふりがな: | とろいせき |
種別: | 特別史跡 |
種別2: | |
都道府県: | 静岡県 |
市区町村: | 静岡市駿河区登呂 |
管理団体: | 静岡市 |
指定年月日: | 1952.03.29(昭和27.03.29) |
指定基準: | 史1 |
特別指定年月日: | 昭和27.11.22 |
追加指定年月日: | 昭和53.12.21 |
解説文: | 静岡市の南郊に存する広大な低濕地域に弥生式土器を伴う竪穴住居跡その他の建築遺構及び畦畔遺構が遺存している。昭和18年に発見され調査されたがその後、昭和22年より昭和25年まで4年間、継続して調査が行われた。その結果竪穴式住居の跡は通じて隅丸の方形をなし、炉跡、礎板を伴う柱跡のほかに板羽目、外柵も残存し、この時代の住居跡として典型的な形式を見ていることが明かにされた。又畦畔遺構はほぼ聚落跡の南方の地域に存するもので各所に杭や矢板の痕跡が残存している。 地域内から弥生式土器、各種木製品、各種石器等が発見された。 この遺跡は広汎な地域にまたがって多数の住居跡と畦畔遺構とを包含しており木製品等に重要な資料も少くなく、わが国古代におけるこの種の遺跡として価値の深いものである。 静岡市の南郊に存する広大な低濕地域に弥生式土器の伴う竪穴住居跡その他の建築遺構及び畦畔遺構が遺存している。昭和18年に発見され調査されたがその後昭和22年より昭和25年まで4年間、継続して調査が行われた。その結果竪穴式住居の跡は通じて隅丸の方形をなし、炉跡、礎板を伴う柱跡のほかに板羽目、外柵も残存し、この時代の住居跡として典型的な形式を見ていることが明かにされた。又畦畔遺構はほぼ聚落跡の南方の地域に存するもので各所に杭や矢板の痕跡が残存している。地域内から弥生式土器、各種木製品、各種石器等が発見された。 この遺跡は広汎な地域にまたがって多数の住居跡と畦畔遺構とを包含しており木製品等に重要な資料も少くなく、わが国古代におけるこの種の遺跡として価値の深いものである。 |
登呂遺跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/04 14:57 UTC 版)
登呂遺跡(とろいせき)は、静岡県静岡市駿河区登呂五丁目にある水田遺構を伴う弥生時代の集落遺跡・低湿地遺跡。国の特別史跡に指定されている。弥生時代後期にあたる1世紀ごろの集落と推定されている。「登呂」はこの地域の小字である(1973年、住居表示実施により町名にも採用)。
注釈
出典
- ^ a b 『写真集 明治大正昭和 静岡』ふるさとの想い出 13、小川龍彦著、図書刊行会、1978年(昭和53年)、国立国会図書館蔵書、2019年3月22日閲覧
- ^ 江坂, 芹沢 & 坂詰 2005, pp. 367–368.
- ^ 文化庁文化財部記念物課 2013, p. 138.
- ^ 黒田日出男監修、帝国書院編集部編『図説 日本史通覧』帝国書院、2014年、30ページ
- ^ 静岡市立登呂博物館「静岡市立登呂博物館 館報 第23号(平成28年度)」 2017年(平成29年)9月15日 p.2
- ^ 日本考古学協会 1954
- ^ 静岡市立登呂博物館. “遺跡体験、弥生の風景を見る、歩く。-住居”. 静岡市. 2023年6月15日閲覧。
- ^ 都出 1989 pp.43~60
- ^ 岡村 2002 pp.113~122
- ^ 静岡市 2018年(平成30年)
- ^ 登呂博物館利用案内
- ^ 平成28年(2016年)8月17日文部科学省告示第116号。
- ^ 登呂遺跡 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- ^ 「静岡県公報 第1550号」 2004年(平成16年)2月27日 p.3341
- ^ 登呂遺跡またも放火 復元家屋四度目のご難『朝日新聞』1978年(昭和53年)4月28日夕刊、3版、3面
「登呂遺跡」の例文・使い方・用例・文例
登呂遺跡と同じ種類の言葉
固有名詞の分類
- 登呂遺跡のページへのリンク