建築・庭園
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/28 19:04 UTC 版)
寛永18年 (1641年)、丈山59歳の時に造営され、丈山は寛文12年 (1672年)、90歳で没するまでここで詩歌三昧の生活を送った。 「小有洞」という門をくぐり、竹林の中の道を行くと、石段の上に「老梅関」という門があり、その先に詩仙堂の玄関がある。玄関上は3階建の「嘯月楼」となっており、その右手 (西側) には瓦敷の仏間と六畳、八畳の座敷、左手には四畳半の「詩仙の間」、「読書の間」など多くの部屋がある。このうち嘯月楼と詩仙の間の部分のみが丈山当時の建築で、他は後世の改築である。 庭園造りの名手でもある丈山自身により設計された庭は四季折々に楽しむことができ、特に春 (5月下旬) のサツキと秋 (11月下旬) の紅葉が有名で観光客で賑わう。縁の前に大きく枝を広げた白い山茶花も見所のひとつ。一般にししおどしとして知られる、添水 (そうず) と呼ばれる仕掛けにより時折り響く音は、鹿や猪の進入を防ぐという実用性とともに静寂な庭のアクセントになっており丈山も好んだという。
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建築・庭園
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 15:57 UTC 版)
建築では、義満が北山に建造した鹿苑寺金閣は寝殿造と禅宗仏殿を融合させたもので、北山文化を代表する建築である。義政の建てた慈照寺銀閣は禅宗仏殿に書院造を合わせた建築であり、楼閣建築もこの時代の特徴と言える。また慈照寺内の東求堂同仁斎は四畳半の座敷で、初期書院造といわれ、今日の和風建築の原型になっている。このほか、商工業の発展に伴い、洛中洛外図屏風などには庶民の邸宅にも2階建ての家屋が描かれるなど、富裕層の増加を見ることができる。
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建築・庭園
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/15 05:19 UTC 版)
縁側のガラス窓などに象徴される近代和風建築で、洋室応接間にはガラス製ペンダント照明や大理石のマントルピースを配置するなど、和洋折衷の内装が施され、当時の富裕層の生活が窺える。書院庭園は広くはない敷地ながら奥行きを感じさせる工夫がなされている。 米国の日本庭園専門雑誌『ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング』が毎年行っている「しおさいランキング」(一般に、日本国内の「日本庭園ランキング」と紹介される)では、2003年の開始以来上位に入っている。「しおさいランキング」は、今現在「庭と家が一体となった日本的な生活環境」を楽しめることを評価する志向性を掲げており、山本亭はホスピタリティ面も含めた「おじいちゃんの家の座敷で美しい庭を見ながらのんびり過ごすような和みの空間」(大意)が高い好感度を得ている。
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