江釣子古墳群とは? わかりやすく解説

江釣子古墳群

名称: 江釣子古墳群
ふりがな えづりここふんぐん
種別 史跡
種別2:
都道府県 岩手県
市区町村 北上市江釣子北鬼柳和賀町長沼
管理団体
指定年月日 1979.09.10(昭和54.09.10)
指定基準 史1
特別指定年月日
追加指定年月日 昭和55.03.24
解説文: S54-12-044[[江釣子古墳群]えづりここふんぐん].txt: 和賀川北岸河岸段丘上に築造された古墳群の中で、和賀町所在長沼古墳群は、昭和54年9月4日指定の江釣子古墳群の西方4.5キロ位置する昭和47年発掘調査によって、本古墳群は江釣子古墳群と同時代同性格のものであることが明らかとなったので、長沼古墳群13基を江釣子古墳群に追加して指定する
S53-12-022[[江釣子古墳群]えづりここふんぐん].txt: 北上川に注ぐ和賀川北岸営まれ古墳群である。古墳は3か所に分かれて群をなしている。東方八幡地区23基、中央の谷地地区29基、西方五条地区81基の古墳存在確認されている。谷地地区については昭和26年早稲田大学が、五条地区については昭和37年東北大学および岩手大学調査している。
 谷地地区調査された5基は、横穴式石室内部主体とする。奥壁に巨石をたて、側壁河原石を小口積みし、羨道端を河原石で閉塞する石室上に天井石遺存していたのは1基のみである。最大石室全長3.55メートル最小石室全長1.2メートルをはかる。いずれも小規模な石室であるが控積み顕著であり、床面河原石を据えて側壁立石安定させ併せて棺台とするなど特色ある技法見られ羨道前面石敷前庭設けるなど、横穴式石室に伴う構造一端をよく示している。
 五条地区では、石室調査されたのは31基、墳丘形状把握されたのは26基である。石室は、すべて横穴式石室であり、1基が4石室をもつ以外は、1墳1石室である。奥壁に巨石をたて、河原石を小口積みして側壁をつくり、羨門閉塞するのが一般であり、谷地地区でみられた側壁立石例や床の棺台をもつ例は極めて少ない。石室墳丘中央設けられ全長メートルに近いものから、1.5メートルという小さいものまであり、規模かなりの大・小を見、また前庭敷石する構造は稀であった墳丘円墳で、径4.5メートルから14メートル周囲に幅1~2メートルの湟をめぐらすが、羨道部の前に周湟つくらず、墓道の存在暗示している。
 副葬品にはかます[[切先]きつさき]太刀、[[蕨手刀]わらびでとう]、鉄鏃などの武具をはじめ、馬具工具装身具類、土器などが豊富に発見されている。
 石室墳丘規模構造特色があり、遺物多様さも顕著であり、東北地方屈指の横穴式石室を伴う古墳群として重要なのである
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江釣子古墳群

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/19 00:24 UTC 版)

江釣子古墳群
所在地 岩手県北上市上江釣子・北鬼柳・和賀町長沼に所在
位置 北緯39度17分29.1秒 東経141度04分56.5秒 / 北緯39.291417度 東経141.082361度 / 39.291417; 141.082361座標: 北緯39度17分29.1秒 東経141度04分56.5秒 / 北緯39.291417度 東経141.082361度 / 39.291417; 141.082361
規模 末期古墳約120基
出土品 蕨手刀直刀刀子鉄鏃勾玉管玉、切子玉、ガラス玉
築造時期 7世紀後半から8世紀前半
史跡 1979年昭和54年)9月10日国指定
地図
江釣子
古墳群
岩手県内の位置
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江釣子古墳群(えづりここふんぐん)は、岩手県北上市上江釣子・北鬼柳・和賀町長沼に所在する古墳時代後期後半(7世紀後半から8世紀前半)の古墳群である[1]蝦夷塚とも呼ばれる。1979年昭和54年)9月10日、国の史跡に指定され、1980年(昭和55年)3月24日、追加指定される[2]

概要

本古墳群は、北上川に注ぐ和賀川の形成した標高70 - 90メートルの低位段丘の縁辺および自然堤防上に立地する。古くから蝦夷塚として知られていた。

規模・形状

本古墳群は、4支群(猫谷地古墳群、五条丸古墳群、八幡古墳群、長沼古墳群)から構成されている。本古墳群では、直径10メートル前後、高さ1メートルほどの円墳が約120基ほど確認されている。古墳の周囲には、南側で切れる幅約1メートルほどの周濠が巡っている。

副葬品・埋葬施設

主体部の大半は、川原石を小口積みにした横穴式石室を真似た竪穴式石室である。石室の平面形は長方形であり、長軸が2~4メートルに対し、幅は0.4~0.7メートルと狭い。北壁に奥石を持ち、南側に形式的な羨門部を造るものもある。床にはが敷かれ、仕切り石とその両壁に立石している

出土遺物には、蕨手刀(わらびてとう)、直刀刀子(とうす)、鉄鏃勾玉(まがたま)、管玉(くだたま)、切子玉、ガラス玉[3]金環、錫釧(すずくしろ)、轡(くつわ)、鉄斧、鎌、鍬先、土師器などがある。

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 北上市文化財課文化財係. “江釣子古墳群”. 岩手県北上市教育委員会. 2022年5月1日閲覧。
  2. ^ 江釣子古墳群 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  3. ^ 中には金箔入りの特殊なものもある(高橋(1991年) 28ページ)。

参考文献

  • 高橋信雄 著「江釣子古墳群」、文化庁文化財保護部史跡研究会監修 編 『図説 日本の史跡 第2巻 原始2』同朋舎出版、1991年。ISBN 978-4-8104-0925-3 

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