江田穴観音古墳とは? わかりやすく解説

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江田穴観音古墳

名称: 江田穴観音古墳
ふりがな えたあなかんのんこふん
種別 史跡
種別2:
都道府県 熊本県
市区町村 玉名郡和泉町
管理団体 和泉町(昭20・2・5)
指定年月日 1944.11.13(昭和19.11.13)
指定基準 史1
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: 丘陵上に築かれたる圓墳にして基底徑約50尺高さ前面にて約16尺を有す南方口を開き横穴式石室あり石室美道前室主室三部より成り巨大な阿蘇熔岩切石を以て構築せられ■大整齋の趣を示せり。美道は現在長さ11尺7寸幅約6尺高さ約4尺7寸あり。前室側壁天井石共に一枚石より成り長さ約5尺6寸幅約7尺3寸高さ約5尺9寸を有し底部左右に夫々一石を以てせる床を設け以て二区に分てり、主室も亦各壁及天井石孰れ一枚巨石によりて構築せられ長さ約8尺2寸幅約7尺9寸高さ約7尺3寸あり、天井低き屋根裏の形を刻し底部は奥壁及側壁接して夫々一石より成る床を設けて三区になし特殊の設備施せり、本古墳早く発掘の厄に遭ひ金銅杏葉等を残存する主要な遺物は散送せりと雖石室の構造特色あり我国に於ける古墳顯著なるものの一とす。
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江田穴観音古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/04 22:11 UTC 版)

江田穴観音古墳
墳丘・石室開口部
所在地 熊本県玉名郡和水町江田(字清原)
位置 北緯32度58分36.25秒 東経130度36分21.10秒 / 北緯32.9767361度 東経130.6058611度 / 32.9767361; 130.6058611座標: 北緯32度58分36.25秒 東経130度36分21.10秒 / 北緯32.9767361度 東経130.6058611度 / 32.9767361; 130.6058611
形状 円墳
規模 直径17m
高さ3.5m
埋葬施設 横穴式石室
出土品 金環・ガラス製勾玉・馬具・須恵器
築造時期 6世紀後半/7世紀
史跡 国の史跡「江田穴観音古墳」
特記事項 装飾古墳
地図
江田
穴観音古墳
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江田穴観音古墳(えたあなかんのんこふん)は、熊本県玉名郡和水町江田にある古墳。形状は円墳。国の史跡に指定されている。

概要

熊本県北部、菊池川東岸における諏訪原台地の南端部斜面に築造された古墳である。古墳名は、羨道に観音像が祀られることに由来する。これまでに発掘調査は実施されていない。

墳丘は斜面にあるうえ開墾等による削平も受けて判然としないが、墳形は円形で、直径約17メートル・高さ約3.5メートル[1](または直径25メートル[2])程度と見積もられる。埋葬施設は横穴式石室で、南南東方向に開口する。後室(玄室)・前室・羨道からなる複室構造で、阿蘇溶結凝灰岩の切石を使用した整美な石室であり、後室・前室にはそれぞれ3区・2区の屍床が遺存する。石室内からは、副葬品として金環・ガラス製勾玉・馬具・須恵器片が検出されている。築造時期は、古墳時代後期の6世紀後半[1](または7世紀[3][4])頃と推定される。

古墳域は1944年昭和19年)に国の史跡に指定されている。現在では石室内への立ち入りは制限されている。

遺跡歴

埋葬施設

石室俯瞰図
石室展開図

埋葬施設としては横穴式石室が構築されており、南南東方向に開口する。後室(玄室)・前室・羨道からなる複室構造の石室である。石室の規模は次の通り[1]

  • 石室全長:9メートル
  • 後室(玄室):長さ2.6メートル、幅2.3メートル(手前)・2.5メートル(奥)、高さ2.3メートル
    • 第2羨門:幅0.60メートル、高さ1.0メートル
  • 前室:長さ1.7メートル、幅2.0メートル(手前)・2.3メートル(奥)、高さ1.8メートル
    • 第1羨門:幅0.70メートル・高さ1.1メートル
  • 羨道:長さ3.5メートル、幅1.9メートル(手前)・2.1メートル(奥)、高さ1.8メートル

石室の石材は阿蘇溶結凝灰岩の切石。後室(玄室)は奥壁・両側壁・天井石とも1枚、前室は両壁・天井石とも1枚、羨道は両壁・天井石とも2枚からなる。特に後室の天井石は皿状に抉り込む。第1羨門・第2羨門は、いずれも一枚石の中央を長方形に刳り抜いて形成され、第2羨門(玄門)の前面には幅0.90メートル・高さ1.2メートル・深さ0.10メートルの飾り縁を施す。後室内では長年焚火がなされたため、後室・前室とも煤で覆われて石室壁面の装飾の確認は困難な状態であるが、羨道部では赤色顔料による装飾文が認められている[1]

後室内では屍床3区をコ字形に、前室内では屍床2区を両側に配する。屍床は床面から仕切りまで一枚石で造られており、後室の奥屍床は幅0.8メートル、左右屍床は幅0.7メートル、前室の屍床は幅0.5-0.6メートルを測る[1]

石室内からは、金環1・ガラス製勾玉1・馬具(金銅製心葉形杏葉2)・須恵器片(大甕)が検出されている[1]

文化財

国の史跡

  • 江田穴観音古墳 - 1944年(昭和19年)11月13日指定[5]

関連施設

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク



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