大境洞窟住居跡
名称: | 大境洞窟住居跡 |
ふりがな: | おおざかいどうくつじゅうきょあと |
種別: | 史跡 |
種別2: | |
都道府県: | 富山県 |
市区町村: | 氷見市宇波大境 |
管理団体: | 氷見市(大11・11・7) |
指定年月日: | 1922.03.08(大正11.03.08) |
指定基準: | 史1 |
特別指定年月日: | |
追加指定年月日: | |
解説文: | 海潮ノ浸蝕ニ依リ凝灰岩ノ地層ニ成レル洞窟ナリ其ノ底部ハ數層ノ崩壊セル岩層ヲ積成シ土器石器貝殼等各層ノ間ニ介在ス以テ先史時代ノ頃ヨリ此ノ洞窟ニ住居セシモノアルヲ知ルヘク又其ノ状態ヲ見ルニ足ル |
大境洞窟住居跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/19 20:21 UTC 版)
大境洞窟住居跡 | |
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大境洞窟住居跡
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種類 | 洞窟遺跡 |
所在地 | 富山県氷見市大境 |
座標 | 北緯36度55分22.0秒 東経137度1分48.8秒 / 北緯36.922778度 東経137.030222度座標: 北緯36度55分22.0秒 東経137度1分48.8秒 / 北緯36.922778度 東経137.030222度 |
大境洞窟住居跡(おおざかいどうくつじゅうきょあと)は、富山県氷見市大境にある洞窟遺跡である。国の史跡に指定[1]されている。6つの文化層を持つ縄文時代中期から中世の複合遺跡である[2]。
概要

この住居跡は、氷見市大境漁港の近くにある白山神社裏手の洞窟内にあり、1918年(大正7年)に社殿を改築しようとしたところ、骨や土器が出土した。その後、東京大学人類学研究室の柴田常恵らによって詳しい調査が行われ、縄文時代から中世にかけての土器、陶磁器や人骨、獣の骨が出土した。この時に実施された調査は、日本初の洞窟遺跡の発掘調査であるとともに、本格的な層位学的発掘調査の嚆矢となるものであった[3]。
脚注
- ^ 大境洞窟住居跡 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- ^ 大境洞窟住居跡|観光スポット|とやま観光ナビ 富山県
- ^ 鈴木 瑞麿 大野 究 『国指定史跡 大境洞窟住居跡 保全整備事業報告書』氷見市教育委員会、2008年。
関連項目
外部リンク
固有名詞の分類
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