柳田布尾山古墳とは? わかりやすく解説

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柳田布尾山古墳

名称: 柳田布尾山古墳
ふりがな やないだぬのおやまこふん
種別 史跡
種別2:
都道府県 富山県
市区町村 氷見市柳田
管理団体
指定年月日 2001.01.29(平成13.01.29)
指定基準 史1
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文:  柳田布尾山古墳は,平成10年地元研究者踏査により新たに発見され前方後方墳である。発見後平成10年11年度の氷見市教育委員会による測量発掘調査により,墳丘形態規模明らかにされた。
 古墳富山湾を望む標高30mの丘陵頂部立地する古墳時代には,丘陵周辺潟湖形成され,それを見下ろす位置に本古墳築造されたと考えられている。南には周囲前期古墳点在する二上山眺望できる前方部北西に向け,墳丘規模全長107.5m,後方部長57m,後方部高10m,前方部49mである。古墳前方部周囲には周堀がめぐり,前方部両隅に陸橋設けられる葺石埴輪はない。後方部の東側には径約20mの円形墳墓接している。時期正確な形状不明であるが,布尾山古墳先行する弥生時代墳丘墓可能性指摘されている。後方中央乱掘受けているが,盗掘坑の東壁に粘土床の一部思われる粘土層が確認された。ただし,その位置墳丘中心外れており,本来複数埋葬施設存在し墳丘中央の埋葬施設破壊され可能性が高い。後方中央を除くと,墳丘形状きわめて良好に残され本来の姿をよく示している。また,墳丘地山削りだした後,盛り土行って構築されことが明らかとなった遺物として,墳丘周囲から古墳時代前期土師器出土しているほか,碧玉製管1点採集されている。北陸地方では前方後方墳前期特徴的に見られ出土土器からも、築造時期古墳時代前期考えられる
 本墳は前方後方墳としては日本海側最大であり,全国的に十指に入る規模を誇る。前方後円墳含めても,北陸では,石川県秋常山1号墳全長140m),福井県六呂瀬山1号墳全長140m),手繰ヶ城山古墳全長128m)に次ぐ規模を持つ。
 柳田布尾山古墳は,周辺前期古墳比べ隔絶した規模を持つ古墳であり、その立地から見て被葬者海上交通の要であるこの地をおさえ勢力得ていた可能性考えられる。以上のように,本墳は北陸古墳時代前期政治・社会考え上で不可欠古墳である。よって,史跡指定し保護図ろうとするものである
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柳田布尾山古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/12 23:01 UTC 版)

柳田布尾山古墳

墳丘全景(左に前方部、右奥に後方部)
所在地 富山県氷見市柳田字布尾山・諏訪野[1](柳田布尾山古墳公園内)
位置 北緯36度49分23.35秒 東経136度59分29.35秒 / 北緯36.8231528度 東経136.9914861度 / 36.8231528; 136.9914861座標: 北緯36度49分23.35秒 東経136度59分29.35秒 / 北緯36.8231528度 東経136.9914861度 / 36.8231528; 136.9914861
形状 前方後方墳
規模 墳丘長107.5m
高さ10m(後方部)
埋葬施設 粘土槨
築造時期 3世紀末-4世紀初頭
史跡 国の史跡「柳田布尾山古墳」
特記事項 富山県第1位の規模
前方後方墳としては日本海側第1位の規模
地図
柳田布尾山
古墳
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柳田布尾山古墳(やないだぬのおやまこふん)は、富山県氷見市柳田にある古墳。形状は前方後方墳。国の史跡に指定されている。

富山県では最大規模、前方後方墳としては日本海側で最大規模の古墳で、3世紀末-4世紀初頭(古墳時代前期前半)頃の築造と推定される。

概要

富山県北西部の能登半島付け根部東側、旧十二町潟に面する丘陵端部(標高約25メートル)に築造された大型前方後方墳である[2]1998年平成10年)の氷見市史編纂事業(遺跡分布調査)において発見され[3]、1998-2000年度(平成10-12年度)に発掘調査が実施されている。

墳形は前方後方形で、前方部を北北西方に向ける[1]。墳丘は2段築成[1]。墳丘長は107.5メートルを測り、富山県内では最大規模、前方後方墳としては日本海側で最大規模かつ全国で十指に入る規模になる[1]。墳丘表面で葺石埴輪は検出されていない[2]。墳丘周囲では、前方部裾で不定形の周濠が巡らされる[2]。埋葬施設は、後方部中央において墳丘主軸と平行する粘土槨が構築されているが、盗掘に遭い大半が失われているため詳細は明らかでない[2]

この柳田布尾山古墳は、古墳時代前期前半の3世紀末-4世紀初頭頃の築造と推定される[2]。古墳の所在する丘陵下には布勢水海(旧十二町潟)が入り込み、築造には富山湾二上丘陵への意識も見られることから、富山湾を中心に日本海の海上交通を掌握した被葬者像が想定される[1]

古墳域は2001年(平成13年)に国の史跡に指定された[4]。現在は史跡整備のうえで柳田布尾山古墳公園として公開されている。なお氷見市内では、1999年(平成11年)に同様の氷見市史編纂事業において、富山県内最大の前方後円墳として阿尾島田A1号墳(氷見市阿尾、70メートル)も発見されている。

遺跡歴

  • 1998年平成10年)6月24日、踏査により発見(氷見市史編纂事業)[5]
  • 1998-1999年度(平成10-11年度)、第1次・第2次発掘調査(氷見市教育委員会、2000年に報告書刊行)[5]
  • 2000年度(平成12年度)、第3次発掘調査・レーダー探査・電気探査(氷見市教育委員会、2001年に報告書刊行)[6]
  • 2001年(平成13年)1月29日、国の史跡に指定[4]
  • 2001-2002年度(平成13-14年度)、公有地化[1]
  • 2003-2005年度(平成15-17年度)、史跡整備[1]
  • 2006年(平成18年)4月、柳田布尾山古墳公園の開園[1]

墳丘

柳田布尾山古墳の空中写真
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。
古墳館から望む墳丘全景
後方部墳頂
中央に推定粘土槨、背景は富山湾

墳丘の規模は次の通り[1]

  • 墳丘長:107.5メートル
  • 後方部 - 2段築成か。
    • 長さ:54メートル
    • 幅:53メートル
    • 高さ:10メートル
  • 前方部 - 2段築成か。
    • 長さ:53.5メートル
    • 幅:49メートル
    • 高さ:6メートル

墳丘は側面を富山湾に向け、主軸を二上丘陵に向ける[1]。墳丘の構築は、地山を前方後方形に削り出したのち、盛土することによる(盛土体積は古墳総体積の約60%)[1]。また墳丘の段築は幅の狭いテラスで形成される[1]

墳丘の前方部裾では不定形な周濠が巡らされており、幅5-18メートル・深さ1.2-2.3メートルを測る[2][1]。また前方部東側隅には陸橋を付し、幅約2.5メートル・長さ約5メートルと推定される[2][1]。また古墳の築造以前には弥生時代の集落があったとされ、調査では弥生土器片が検出されている[1]

なお、後方部東側には2号墳が所在する。直径25メートルの円墳で、墳丘周囲には幅約5メートル・深さ約1.6メートルの周濠が巡らされるが[1]、未調査のため埋葬施設や築造時期などの詳細は明らかでない[7]。2号墳の周濠と柳田布尾山古墳の後方部の形態との関係から、2号墳が先行する可能性も指摘される[1]

文化財

国の史跡

  • 柳田布尾山古墳 - 2001年(平成13年)1月29日指定[4]

関連施設

  • 柳田布尾山古墳公園古墳館 - 柳田布尾山古墳に隣接。

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 史跡柳田布尾山古墳整備事業報告書 2006.
  2. ^ a b c d e f g 柳田布尾山古墳(続古墳) 2002.
  3. ^ 『北日本新聞』1998年7月10日付朝刊1面『日本海握る大首長埋葬か 氷見・柳田布尾山古墳 4世紀前半と推定 一級の考古史料 保存検討委設置へ』より。
  4. ^ a b c 柳田布尾山古墳 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  5. ^ a b 柳田布尾山古墳 第1次・第2次発掘調査の成果 2000.
  6. ^ 柳田布尾山古墳 第3次発掘調査の成果 2001.
  7. ^ 史跡説明板。

参考文献

(記事執筆に使用した文献)

関連文献

(記事執筆に使用していない関連文献)

  • 『氷見市史 9 資料編5 考古』氷見市、2002年。 

関連項目

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