発見後とは? わかりやすく解説

発見後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/08 14:27 UTC 版)

ミラ (恒星)」の記事における「発見後」の解説

1596年8月13日ダーヴィト・ファブリツィウス水星観測中に位置確認するための星を探していて発見ファブリツィウスは、この星を25年ほど前にカシオペヤ座出現したものと同種の新星考えた1603年ヨハン・バイエルこの年発行した星図ウラノメトリア』 には、変光しない4等星 「ο」 として記録された。 1609年2月15日ファブリツィウス再発見1638年:ヨハネス・ホルヴァルダ(英語版)がο星は新星ではなく周期的に変光する星だと考えた1662年ヨハネス・ヘヴェリウスが「不思議な星の小史」(Historiola Mirae Stellae)という論文書いた1667年en:Ismaël Bullialdusがミラの変光周期333日であると発表した1779年極大時にアルデバラン匹敵する1等級推定1.2等)に達した1906年12月極大時に2.1等に達した一戸直蔵記録)。 1923年10月19日:アルフレッド・ハリソン・ジョイの分光観測による予測に基づきロバート・グラント・エイトケン伴星ミラBを発見2005年アメリカX線観測衛星チャンドラによってミラ撮影されミラAX線アウトバースト起こしていること、ミラA物質ミラBに吸い寄せられていることが明らかになった。 2007年2月17日極大時に1.9等(平均等級では2.05等)に達した。これは、およそ百年ぶりの明る増光であった2007年8月NASA紫外線宇宙望遠鏡 GALEXミラ後方彗星の尾のような痕を発見したミラは、ファブリツィウスによって発見され以来長らく新星考えられていた(数年後には再発見されていたのであるから、今でいう反復新星ということになる)ため、ロワーエの星図ヘヴェリウス星表フラムスティード星表などではいずれ新星として扱われていた。18世紀後半になって、『フラムスティード星図』 のパリ第2版1776年)で Variante、同パリ第3版1795年)で Changente と記されており、この頃には変光星として認知されていたと考えられる

※この「発見後」の解説は、「ミラ (恒星)」の解説の一部です。
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