発見後
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1596年8月13日:ダーヴィト・ファブリツィウスが水星の観測中に位置を確認するための星を探していて発見。ファブリツィウスは、この星を25年ほど前にカシオペヤ座に出現したものと同種の新星と考えた。 1603年:ヨハン・バイエルがこの年に発行した星図 『ウラノメトリア』 には、変光しない4等星 「ο」 として記録された。 1609年2月15日:ファブリツィウスが再発見。 1638年:ヨハネス・ホルヴァルダ(英語版)がο星は新星ではなく周期的に変光する星だと考えた。 1662年:ヨハネス・ヘヴェリウスが「不思議な星の小史」(Historiola Mirae Stellae)という論文を書いた。 1667年:en:Ismaël Bullialdusがミラの変光周期は333日であると発表した。 1779年:極大時に、アルデバランに匹敵する1等級(推定1.2等)に達した。 1906年12月:極大時に2.1等に達した(一戸直蔵が記録)。 1923年10月19日:アルフレッド・ハリソン・ジョイの分光観測による予測に基づき、ロバート・グラント・エイトケンが伴星ミラBを発見。 2005年:アメリカのX線観測衛星チャンドラによってミラが撮影され、ミラAがX線アウトバーストを起こしていること、ミラAの物質がミラBに吸い寄せられていることが明らかになった。 2007年2月17日:極大時に1.9等(平均等級では2.05等)に達した。これは、およそ百年ぶりの明るい増光であった。 2007年8月:NASA の紫外線宇宙望遠鏡 GALEXがミラの後方に彗星の尾のような痕を発見した。 ミラは、ファブリツィウスによって発見されて以来、長らく新星と考えられていた(数年後には再発見されていたのであるから、今でいう反復新星ということになる)ため、ロワーエの星図やヘヴェリウスの星表、フラムスティードの星表などではいずれも新星として扱われていた。18世紀の後半になって、『フラムスティード星図』 のパリ・第2版(1776年)で Variante、同パリ・第3版(1795年)で Changente と記されており、この頃には変光星として認知されていたと考えられる。
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