奥州市長選挙
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2010年3月14日に施行された奥州市長選挙に無所属として出馬し初当選した。この選挙には小沢のほか、現職・相原正明(無所属)が出馬。 奥州市は衆院議員選挙岩手県第4区にあり、民主党の小沢一郎幹事長(当時)の地盤である。両立候補者は小沢系列を掲げており、小沢一郎後援会は表向き「中立・不介入」だったが、2月17日夜にそろって新人支援に回った。告示目前の“異変”に両陣営に波紋を広げた。 奥州市内の小沢一郎後援会は夏の参院選を控え、「遺恨を残さないように」と市長選での中立を取り決め、個別候補支援の組織的な動きがこれまで表面化することはなかった。 選挙期間中には民主党所属の岩手県議会議員の及川幸子と郷右近浩、旧水沢市長の高橋光夫が応援に駆けつけた。 得票は4万6,157票(選管最終確定)で、現職・相原の3万3537票に12,600票の大差をつけ初当選した。投票率は77.34%だった。 江刺区(相原の出身地)に事業配分が偏っていたことを指摘し、旧市町村間の対立感情を巧みに刺激したことも大きな勝因であった。 2014年3月14日、元市健康福祉部長の小野寺孝喜(旧前沢町出身)を7948票差で破り2期目の再選。 2018年3月11日、元市議ら2名の候補を破り3回目の当選を果たした。 2022年3月6日投開票の市長選挙で元会社役員の倉成淳に26825票差で敗れ落選。
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奥州市長選挙
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2006年の奥州市誕生を機に初代市長を目指し立候補。旧水沢市長の高橋光夫、元衆議院議員の高橋嘉信を破り当選する。 2010年の市長選挙には、再選(2期目)を目指して出馬したが、新人で前奥州市議会議長の小沢昌記に12,600票差で破れ、再選はならなかった。
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