藤原氏と源氏とは? わかりやすく解説

藤原氏と源氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 04:57 UTC 版)

源氏物語」の記事における「藤原氏と源氏」の解説

『源氏物語』は、なぜ藤原氏全盛時代に、かつて藤原一族安和の変失脚させた源氏主人公にし、源氏恋愛に常に勝ち、源氏帝位継承テーマとして描いたのか。初めてこの問いかけ行った藤岡作太郎は、「源氏物語本旨は、夫人評論にある」とした論の中で、政治向き無知無関心な女性だからこそこのような藤原氏的な作品書くことができ、周囲からもそのこと問題にはされなかったのだとした。一方池田亀鑑は、藤原氏全盛時代という現実世界の中で生きながらも高邁な精神持ち続けた作者紫式部理想追い求めた世界観表れがこの『源氏物語』という作品であるとしている。この問題取り上げた中には『源氏物語』著したのは藤原氏紫式部ではなく多数作者らであるとする、推理作家である藤本泉の説詳細は「#異説」を参照 恨みはらんで失脚していった源氏怨霊静めるためであるという『逆説の日本史』などで論じた井沢元彦の説 といった説も存在する。もっとも、このような見解については『源氏物語』成立の背景に以下のような理由挙げている大野晋見解のように、氏族として藤原氏と源氏が対立しているとはいえず、仮にそのようなものがあったとしても、個人的な対立関係範疇超えないとして、問いかけ前提認識問題があるとする見方もある。 この物語作者である紫式部は、父・藤原為時源師房の父具平親王親しく一時期家司つとめていたこともあるとみられるなど、藤原氏中でも源氏と近い立場にあること。 藤原道長はその甥藤原伊周との対立など藤原氏一族内部での激し権力闘争を行う一方、以下のように源氏一族とは縁戚関係構築積極的であり、源氏との対立関係にあるとはいいがたいこと。藤原道長正妻源倫子である(道長そのほかに源明子も妻にしている)。 道長息子藤原頼通正室隆姫女王の弟であった源師房が、頼通猶子(『小右記』には「異姓養子」と表記)になり、道長娘婿ともなり藤原摂関家ともっとも密接な関係を築き上げたことにより、源氏長者地位に就き唯一の公家源氏である村上源氏の祖となったまた、より積極的に上記のような事実関係前提にして「『源氏物語』紫式部が父の藤原為時とともに具平親王元にいた時期書き始められた」とする見解もある。

※この「藤原氏と源氏」の解説は、「源氏物語」の解説の一部です。
「藤原氏と源氏」を含む「源氏物語」の記事については、「源氏物語」の概要を参照ください。

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