藤原歌劇団
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/05 08:13 UTC 版)
藤原歌劇団(ふじわらかげきだん)は、公益財団法人日本オペラ振興会のオペラ公演事業部門における西洋オペラ部門の名称である。藤原義江が創設した、同名の日本のオペラ・カンパニー(任意団体)をルーツとする。1981年(昭和56年)に財団法人日本オペラ振興会に事業を委譲し、団体としては消滅している。本項目では、法人としての日本オペラ振興会について記述するとともに、藤原歌劇団と同様に1981年(昭和56年)に事業を委譲し、現在は公益財団法人日本オペラ振興会のオペラ公演事業部門における日本オペラ部門の名称となっている日本のオペラ・カンパニー(任意団体)の日本オペラ協会(現在は団体としては消滅)についても併せて記述する。
- ^ 公益財団法人日本オペラ振興会の公式ホームページ(2020年3月17日閲覧)においては「以来、わが国初の本格的オペラ団体として今日まで公演活動を継続」と記載されているが、藤原歌劇団以前の帝国劇場歌劇部や浅草オペラの存在などを考慮すると、何をもって「本格的」とするか明確とはいえないと考える。また、1981年に行われた新法人への事業委譲を考慮すると、「公演活動を継続」と断言することには若干疑問が残る。
- ^ “藤原歌劇団公演《ラ・ボエーム》”. 昭和音楽大学オペラ情報センター. 2020年4月12日閲覧。
- ^ 昭和音楽大学オペラ情報センターの記録では「藤原歌劇団公演」と明記されており、「上演言語:イタリア語(原語)」とある。
- ^ a b c d e f g h “日本オペラ年表 関根礼子編”. 昭和音楽大学. 2020年3月17日閲覧。
- ^ 日本経済新聞朝刊 「オペラ 原語上演事始め 藤原歌劇団「トスカ」、戦後初のイタリア語公演で主演 桑原瑛子」 2016年12月9日
- ^ a b c “藤原歌劇団について”. 公益財団法人 日本オペラ振興会. 2020年3月17日閲覧。
- ^ “粟國安彦”. 昭和音楽大学オペラ情報センター. 2020年3月17日閲覧。
- ^ “粟國安彦”. 昭和音楽大学オペラ情報センター. 2020年3月17日閲覧。
- ^ Wikipedia「ジロー・オペラ賞」を参照
- ^ Wikipedia「芸術選奨新人賞」を参照
- ^ “下八川圭祐”. コトバンク. 2020年3月18日閲覧。
- ^ a b “下八川共祐さん”. タウンニュース. 2020年3月18日閲覧。
- ^ a b “日本オペラ協会前総監督の大賀寛さん死去”. 朝日新聞社. 2020年3月17日閲覧。
- ^ a b c d e f “日本オペラ協会について”. 公益財団法人 日本オペラ振興会. 2020年3月17日閲覧。
- ^ “日本オペラ協会”. 昭和音楽大学オペラ情報センター. 2020年3月17日閲覧。
- ^ a b c d e “日本オペラ研究会”. 昭和音楽大学オペラ情報センター. 2020年3月18日閲覧。
- ^ a b c d e “日本オペラ協会”. 昭和音楽大学オペラ情報センター. 2020年3月18日閲覧。
- ^ a b c d e f “財団概要 日本オペラ振興会(JOF)について”. 公益財団法人 日本オペラ振興会. 2020年3月18日閲覧。
- ^ “春琴抄”. 昭和音楽大学オペラ情報センター. 2020年3月18日閲覧。
- ^ “公益財団法人日本オペラ振興会 定款”. 公益財団法人 日本オペラ振興会. 2020年3月18日閲覧。
- ^ “[=Find_PerformanceInformation 藤原歌劇団]”. 昭和音楽大学オペラ情報センター. 2020年3月18日閲覧。
- ^ 小嶋 健二(読み)コジマ ケンジコトバンク
- ^ 宮本 良平(読み)ミヤモト リョウヘイコトバンク
- ^ “Cia Opera Vol.11-郡 愛子 3”. 公益財団法人 日本オペラ振興会. 2020年4月17日閲覧。
- ^ “[=Find_PerformanceInformation 日本オペラ協会]”. 昭和音楽大学オペラ情報センター. 2020年3月18日閲覧。
藤原歌劇団
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/15 14:24 UTC 版)
1934年(昭和9年)6月、義江は日比谷公会堂にてプッチーニ『ラ・ボエーム』(原語上演とみられるが、異説あり)の公演を行う。「東京オペラ・カムパニー公演」と銘打ってのものだが、これが藤原歌劇団の出発点となる。大倉喜七郎などパトロンの援助も空しく興行的には実入りはなかった模様だが、(素人同然のコーラスを除けば)音楽的には評論家から賛辞一色が呈された。 その後同カムパニー名義でビゼー『カルメン』、ヴェルディ『リゴレット』(マッダレーナ役で後の大女優、杉村春子が出演している)、プッチーニ『トスカ』などで着実に舞台を重ねる。藤原は主役を務めるばかりでなく、演出や装置、衣装まで手がけたし、訳詞上演の際には妻・あきがしばしば(柳園子の筆名で)参画している。 「藤原歌劇団」と銘打っての旗揚公演は1939年(昭和14年)3月26日から歌舞伎座で行われた『カルメン』であり、大成功を博した。その後同年11月には『椿姫』と『リゴレット』の交替上演(欧米の歌劇場では常識の、いわゆるレパートリー上演)を成功させ、指揮者としてはマンフレート・グルリットを得、太平洋戦争中の1942年(昭和17年)11月にはヴァーグナー『ローエングリン』でも題名役を歌うなど、藤原歌劇団は日本で最も高品質のオペラを上演できるカンパニー、そして藤原義江はその一枚看板としての地位を固めていった。しかしこれら公演も興行的には必ずしも満足できるものではなく、藤原は自宅のピアノを売却するなどの苦労もあった。
※この「藤原歌劇団」の解説は、「藤原義江」の解説の一部です。
「藤原歌劇団」を含む「藤原義江」の記事については、「藤原義江」の概要を参照ください。
- 藤原歌劇団のページへのリンク