相良定頼
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/08 21:44 UTC 版)
相良 定頼(さがら さだより)は、南北朝時代の武将。相良氏6代当主。5代当主・相良頼広の長男。
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- ^ すでに廃寺。
- ^ 丸目(相良)氏頼とも。
- ^ 丸野(相良)頼豊とも。
- ^ 頼範、青井氏(青井神社大宮司)の養子。
- ^ 分家の上相良氏の当主で、相良経頼とも言う。経頼は、初代当主長頼の次男頼氏の孫にあたる。
- ^ 旧村名で、現錦町内にある地名。
- ^ 初代当主長頼の六男頼員の孫の相良頼重の子孫。
- ^ 続柄不明。相良同族だが、肥後国の球磨郡以外の場所の荘園地頭らしい。経頼を討った後、その旧領の一部を恩賞として貰っている。
- ^ この頃、頼広が亡くなったと考えられ、祐長は長氏が(恐らくまだ若年だったと思われる)定頼を後継とすると決めたことに反対したらしい。
- ^ もともと相良祐長が城主であった。
- ^ 錦町内の旧村落名。
- ^ 旧村名、現多良木町内。
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