今村頼刧とは? わかりやすく解説

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今村頼刧

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/29 07:14 UTC 版)

 
今村頼刧
時代 室町時代
改名 頼而、相良頼刧
別名 通称:藤太
氏族 相良氏→今村氏
父母 相良定頼
兄弟 相良前頼頼刧、丸目頼書、丸野頼成、青井前成、小垣頼氏、女(相良統頼室)
秀村[1]
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今村 頼刧[2](いまむら よりひさ/よりかず、生没年不詳)は、南北朝時代から室町時代前期にかけての武将。

相良氏6代当主相良定頼の次男、薩摩今村氏の祖。通称は藤太。別名は頼而。

明徳5年(1394年)に日向国都城で共に戦死した相良前頼、丸目頼書、青井前成、丸野頼成の4人とは兄弟。子孫が薩摩国に下り、今村氏を名乗った。

脚注

  1. ^ 『京城人物 永楽情報 第10巻』(「今村純義」項より), 『大日本醫家實家傳』石戸頼一著、明治26年(1893)、(「今村縫之助」項より), 『鹿児島市内の石刻資料人名』土肥克己著, 『断家譜』巻2(藤原姓今村氏)[1]
  2. ^ 「頼」は異字体で頼刧と同じ。退くの意味になる「×頼」は誤字。

参考文献




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