相良頼之とは? わかりやすく解説

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相良頼之

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/03 05:33 UTC 版)

 
相良頼之
相良頼之像(相良神社蔵)
時代 江戸時代後期
生誕 寛政10年10月15日1798年11月22日
死没 嘉永3年5月10日1850年6月19日
改名 英次郎(幼名)、頼重(初名)、頼之
別名 護之進
戒名 泰清院殿温際慧淳大居士
墓所 熊本県人吉市の傳法山願成寺
官位 従五位下近江守壱岐守紀伊守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家斉家慶
肥後人吉藩
氏族 相良氏
父母 父:相良頼徳、母:不詳
兄弟 於蓮、於幸、頼之、於雅、於益、頼由、頼直、万江頼保、於葉、於源
正室:亀井矩賢の娘・於賀
側室:於福、慶寿院
長福、準之助、於栄、於保、池田章政、於英、頼基、貞四郎
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相良 頼之(さがら よりゆき)は、肥後国人吉藩の第13代藩主。

生涯

寛政10年(1798年)10月15日、第12代藩主・相良頼徳の長男として生まれる。母は頼徳の侍女であったが、文化5年(1808年)6月15日に頼徳正室の養子となり、文化6年(1809年)2月5日に世子に指名された。文化11年(1814年)に従五位下、近江守に叙任する。文政元年(1818年)10月6日、父の隠居により家督を継ぐ。

文政7年(1824年)5月13日、名を頼重から頼之と改め、壱岐守に転任する。父の時代から改革を行なっていた田代政典の改革が引き続いて行なわれた。天保10年(1839年)7月17日、長男の長福に家督を譲って隠居し、嘉永3年(1850年)5月10日に死去した。享年53。

系譜

父母

正室

側室

  • 於福 - 浦崎
  • 慶寿院

子女

脚注




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