相良長続
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 02:52 UTC 版)
相良 長続(さがら ながつぐ)は、相良氏の第11代当主。分家の永留氏の出身。山田城主として多良木兄弟の乱を鎮定し、第10代当主相良堯頼の客死により、宗家を相続した。通称は藤五郎または左近将監。
- ^ a b c d e f g h i 阿部 & 西村 1990, p. 362.
- ^ 三村謙介「『犬童重国軍忠状案』の近世期写について」『ひとよし歴史研究』19号、2016年
- ^ 多良木町久米小田原から同町久米堀川の付近。雀ヶ森は「雀森」とも書く(読みは同じ)。
- ^ 多良木頼観(相良頼観)の遺児鬼太郎は、周防大内氏に仕えた相良正任であり、その子が相良武任であるという説がある。
- ^ 久米は現多良木町の地名で、旧村名久米村。湯山と江代は現水上村の地名であるが、これらの集落は明治までそれぞれ村であった。
- ^ 稲冨伸明『人凶』弦書房、2021年、p.16掲載の「稲冨系圓」には「頼藤 太郎三郎 永冨出雲守」という人物がみえる。永冨姓が記された史料は極めて珍しいといえる。
- ^ 鶴嶋俊彦「戦国相良氏の誕生と城郭形成」稲葉継陽・小川弘和編『中世相良氏の展開と地域社会』戎光祥出版、2020年、P150-153.
- ^ 柳田快明「〈文安五年の政変〉前後の相良氏支配と球磨郡地域支配」稲葉継陽・小川弘和編『中世相良氏の展開と地域社会』戎光祥出版、2020年、P184-189.
- ^ 牛山は牛屎(うしくそ)の別称。牛屎は由緒ある名前であるが、室町時代後期より糞という音を憚って、牛山と称されるようになった。牛屎院も牛山院とも言う。
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