飯盛城
飯盛城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/06 17:23 UTC 版)
飯盛城(いいもりじょう)は、名和氏の時代には主城だったと云い、(伝承によれば)内河義真が最初に築いたのはこの城であると云う。標高70メートルと最も低く、鉄道トンネルのある芭蕉谷を挟んだ峰を数段削って、本丸・二の丸・三の丸があったと云うが、堀切跡など現状では自然地形との判別が難しい。現在肥薩線が通っている川側に大手門の跡があるという。諸城のなかで最も西にあって球磨川にも近いが、北側に南南東から北西に走る「にべ谷」があり、飯盛山だけは別の支峰にあって、にべ谷の奥、背後の一番高い山が八丁山である。
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