古麓城を構成する七城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/06 17:23 UTC 版)
名和氏の時代に飯盛城・丸山城・鞍掛城・勝尾城・八丁嶽城が築かれ、これを「古麓の五城」と呼んだ。相良氏の時代に新たに鷹峯城・新城が築かれ、合計七城となった。全て古麓山(八丁山)の尾根筋に点在していて、2つの堀切で隔たれる北の勝尾城と、球磨川に面した小高い山の上にある南の飯盛城、山深い最頂部にある八丁嶽城を結ぶ三角形が、おおよその古麓城の位置となる。ただし堀切などは天然の地形と見分けが難しいため、現在、城の遺構がよく確認できるのは新城のみとなっている。麓にある春光寺(松井氏菩提所)が下館(居館)の跡とも言うが、地名に名残がある程度で、詳しいことは分かっていない。寺の前の用水池は御堀の跡であるとされ、何重にもあった水堀はほとんど埋められてしまった。寺の前には戦後まで「犬の馬場跡」と呼ばれた広場があり、往事は犬追物が行われた。以下、七城を北から順に紹介する。
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