勝尾城とは? わかりやすく解説

勝尾城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/18 05:17 UTC 版)

logo
勝尾城
佐賀県
別名 三ケ山城、三上城、筑紫城三上山
勝山城、筑紫城、山浦城
城郭構造 山城
築城主 渋川義俊
または渋川義基
築城年 応永30年(1423年
または延徳3年(1491年
主な城主 渋川氏筑紫氏
廃城年 天正14年(1586年
指定文化財 国の史跡
(勝尾城筑紫氏遺跡の一部)
位置 北緯33度24分07.4秒 東経130度27分54.2秒 / 北緯33.402056度 東経130.465056度 / 33.402056; 130.465056座標: 北緯33度24分07.4秒 東経130度27分54.2秒 / 北緯33.402056度 東経130.465056度 / 33.402056; 130.465056
地図
勝尾城
テンプレートを表示

勝尾城(かつのおじょう)は、佐賀県鳥栖市河内町にあった日本の城山城)。本城の勝尾城、鬼ヶ城、高取城、葛籠城、鏡城、若山砦等の支城群と当主の居館跡、家臣団屋敷跡、寺社跡、町屋跡で構成されたエリアは「勝尾城筑紫氏遺跡」として国の史跡に指定されている[1]

概要

鳥栖市標高501.3mの城山山頂に位置する。安良川とその支流の四阿屋川の谷に挟まれた要害だった。支城鏡城、葛籠城、鷹取城がある。

応永30年(1423年)に渋川義俊が勝尾城を築いたと『肥前国史』にあるが、『歴代鎮西要略』では延徳3年(1491年)に渋川義基が築いたとされる。当城は九州の南北・東西の交通の十字路にあたるため、長く渋川氏少弐氏との争いの舞台となった。やがて少弐氏は大内氏の傘下に入って助力を得て、永正18年(1521年)には少弐氏一族の筑紫満門が当城の城主となっている。

天正14年(1586年)、南九州を席巻した島津氏筑前国への侵攻を開始した。その前々年に筑紫氏は島津氏と連携していたにもかかわらず、島津氏侵攻の直前になって大友氏へと降ったため、筑前国の要衝である勝尾城は島津軍の格好の標的となった。勝尾城は島津忠長の攻撃を受けて同年7月6日に麓の総構えが破られ、7月11日に落城する。城主の筑紫広門は降伏して、筑後の大善寺に一時幽閉されるが、同年8月に挙兵して勝尾城を奪還した。

戦後、豊臣秀吉によって筑後国上妻郡に18,000石の所領を与えられたため、勝尾城は廃城となった。

平成元年(1988年)度の鳥栖市教育委員会の圃場整備事業に伴う発掘調査によって、戦国時代の町屋跡が発見され、平成7年度(1995年)から16年度にかけて遺跡確認調査を実施。その結果、勝尾城や周辺の支城や、城主の館跡、寺社跡、空堀、石垣等がほぼ当時のままの状態で残存していることが判明した。それらの調査結果を踏まえ、平成18年(2006年)に国の史跡に指定された。

構造

勝尾城は、標高501.3mの城山山頂に位置し、遺構の規模は東西約400m、南北約600mの領域に及ぶ。山頂部を主郭とし、それを中心に城域全体に石垣が構築されており、特に東側の伝・二の丸跡には連続する小規模な石材を積み上げた登り石垣と、内枡形の虎口が築かれている。

また、安良川とその支流の四阿屋川と周辺の山を利用して、谷戸部に家臣団屋敷や寺社、町屋等の城下町を造り、それぞれを区分するように長大な空堀と土塁で仕切り、総構えの備えとした。また、周囲の山には城や砦を築いてその稜線を防衛ラインとしている。これらの構造は、一乗谷朝倉氏遺跡と同様なもので、国の史跡指定にあたってもその重要性を考慮された。そして遺跡として指定された面積も、一乗谷朝倉氏遺跡に匹敵する大きさとなっている。

発掘調査によって輸入陶磁器、国内産陶器、瓦器、土師器、瓦、中国銭等の遺物が多量に出土している。

近隣には筑紫晴門や川上左京の墓所が存在している。

脚注

  1. ^ 『勝尾城筑紫氏遺跡』鳥栖市HP

参考文献

関連項目


勝尾城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/06 17:23 UTC 版)

古麓城」の記事における「勝尾城」の解説

勝尾城(かちおじょう)は出城で、伝えの城(見張り所)であったという。春光川を見下ろす北西延び尾根筋先端城跡であるというが、斜面があるだけで遺構などは全く残っていないため正確な位置不明伝承では砥石観音堂を登ったあたりであるという。

※この「勝尾城」の解説は、「古麓城」の解説の一部です。
「勝尾城」を含む「古麓城」の記事については、「古麓城」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「勝尾城」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「勝尾城」の関連用語

勝尾城のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



勝尾城のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの勝尾城 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの古麓城 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS