勝家による和平交渉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 08:07 UTC 版)
10月16日、勝家は堀秀政に覚書を送り、秀吉の清洲会議の誓約違反、及び不当な領地再分配、宝寺城の築城を非難している(『南行雑録』)。11月、勝家は前田利家・金森長近・不破勝光を使者として秀吉のもとに派遣し、秀吉との和睦を交渉させた。これは勝家が北陸に領地を持ち、冬には雪で行動が制限されることを理由とした見せかけの交渉であった。秀吉はこのことを見抜き、逆にこの際に三将を調略しており、さらには高山右近、中川清秀、筒井順慶、三好康長らに人質を入れさせ、畿内の城を固めている。
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