勝尾城筑紫氏遺跡とは? わかりやすく解説

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勝尾城筑紫氏遺跡

名称: 勝尾城筑紫氏遺跡
ふりがな かつのおじょうちくししいせき
種別 史跡
種別2:
都道府県 佐賀県
市区町村 鳥栖市牛原町河内町山浦町
管理団体
指定年月日 2006.01.26(平成18.01.26)
指定基準 史2
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: 勝尾城筑紫氏遺跡は、鳥栖市北西部所在する標高501m余の城山とその山麓谷筋中心に広がる戦国時代後期筑紫氏城下町を含む城館群である。この地は、筑前筑後接す交通要地である。筑紫氏は、少弐氏から分かれたとされる武士で、明応年間(1492~1501)に当城入ったとされるその後筑紫氏は、周辺戦国大名同盟あるいは敵対しめまぐるしく活動するが、天正14年(1586)島津氏攻められ落城する。翌15年には筑紫氏は、豊臣秀吉により転封され、当城廃城となる。平成7年からの鳥栖市教育委員会による計画的な発掘調査実施により、遺跡全体構造明らかになりつつある。勝尾本城跡は、城山山頂にあり、東西300m南北約250mを測り、東側には小規模な石材積み上げた石垣塁線と横堀見られるまた、南山麓には瓦葺建物と庭園を伴う館跡所在し5つ支城防備され谷部には城下町配置されていた。城下町は、長大堀と土塁によって画され4つ空間があり、それぞれ家臣団屋敷跡寺社町屋跡などが所在する調査結果出土した遺物は、輸入陶磁器国内陶器・瓦器・瓦などであり、陶磁器時期16世紀後半主体とする。当城跡には、江戸期描かれた「肥前基肄郡尾山筑紫広門城跡之図」が残されており、現地とよく照合できる。このように、本遺跡戦国期における城下町の様子がよく表しており、保存状態良好であり、戦国期歴史考え上で重要である。



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