加茂遺跡とは? わかりやすく解説

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加茂遺跡

名称: 加茂遺跡
ふりがな かもいせき
種別 史跡
種別2:
都道府県 兵庫県
市区町村 川西市加茂南花屋敷
管理団体
指定年月日 2000.07.31(平成12.07.31)
指定基準 史1
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: 加茂遺跡は兵庫県東南部川西市南部位置する近畿地方代表する弥生時代大規模集落遺跡である。遺跡は,猪名川北摂丘陵から西摂平野流れ出る地点発達した伊丹台地縁辺上,標高40m前後立地する台地東側北側猪名川とその支流最明寺川によって開析され,沖積地との比高差は20mほどである。
 加茂遺跡の存在は,明治44年台地東側直下栄根銅鐸出土したことやや,昭和11年宮川石器館が開館し採集資料展示していたことにより,早くから知られていた。最初発掘調査昭和27年29年関西大学関西学院大学によって実施された。昭和50年頃からは川西市教育委員会による宅地開発に伴う小規模な発掘調査急増しこれまで190次にわたる発掘調査実施してきた。その結果,本遺跡旧石器時代から平安時代にかけての遺跡で,弥生時代中期には東西800m南北400m面積約20haに及ぶ大規模な集落であることが明かとなった
 加茂遺跡の弥生集落は,中期初頭形成され中期中頃から後半にかけて大規模となり,後期急激に縮小する遺跡中心をなす中期遺構は,これまで掘立柱建物6棟,竪穴住居40棟,方形周溝墓22基,土器12基,木棺土坑墓38基,環濠などが検出されており,居住区墓域などの集落全体構造おおよそ把握されている。集落中心域は遺跡の東半部で,数条の環濠中心域の西弧状に巡ると考えられ,その平面形は直径300m円形呈する東側斜面にも1条環濠がある。この地区標高高く弥生集落成立期の土器出土はほぼここに限られ遺物出土量も多い。竪穴住居26基,土器墓4基,サヌカイト集積遺構1基のほか,大型掘立柱建物とこれを囲む方形区画遺構確認されている。大型建物北側のみが確認されたもので,建物筋から約3m離れた位置板塀据えた小溝がある。時期中期後半である。環濠西側にも南北二つ居住区がある。墓は集落西部集中し墓域居住区とは基本的に重複しない方形周溝墓は群をなし木棺土坑墓を伴うものが多い。なお,中心域にも方形周溝墓1基が確認されているが,規模大きく主体部が6基あり,特殊な性格をもつと推測される
 加茂遺跡は環濠囲まれ中心域の居住区とその西側墓域がまず成立し以後環濠外側にも居住区成立し中心域には大型建物とそれを囲む板塀方形区画造られた。集落規模奈良県唐古道跡よりやや小さいが,大阪府池上曽根遺跡とほぼ同規模であり,生産関係ではサヌカイト原材料とした石器の製作を行っていた。本遺跡大阪湾北岸地域中核的な集落であり,近畿地方大規模弥生集落のあり方具体的に示すものとしてきわめて重要である。よって史跡指定し保護しようとするものである

加茂遺跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/08 10:00 UTC 版)

加茂遺跡(かもいせき)は日本の遺跡で同名のものが複数ある




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