勝坂遺跡
名称: | 勝坂遺跡 |
ふりがな: | かつさかいせき |
種別: | 史跡 |
種別2: | |
都道府県: | 神奈川県 |
市区町村: | 相模原市磯部 |
管理団体: | |
指定年月日: | 1974.07.02(昭和49.07.02) |
指定基準: | 史1 |
特別指定年月日: | |
追加指定年月日: | 平成18.01.26 |
解説文: | S55-05-029勝坂遺跡.txt: 勝坂遺跡は、我国の繩文時代中期を代表する遺跡である。今回その東側に敷石遺構や配石遺構が発見され、遺跡が拡がっていることが確認されたので、この部分を追加指定する。 S49-5-131勝坂遺跡.txt: 相模川の流れをのぞむ相模原台地西縁に所在する縄文中期の集落跡である。大正年間以降の調査によって、遺構・遺物が集中するA・B・C・Dの4地点が確認されており、中期中葉から中期末までの長期間にわたって安定した集落の営まれていたことがわかる。出土土器は「勝坂式」として、中部・関東地方における縄文中期中葉の標準型式とされている。 |
勝坂遺跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/03 09:44 UTC 版)
勝坂遺跡 | |
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勝坂遺跡D区 復元建物群
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種類 | 縄文時代集落 |
所在地 | 神奈川県相模原市南区磯部1780ほか |
座標 | 北緯35度30分30秒 東経139度23分18秒 / 北緯35.50833度 東経139.38833度座標: 北緯35度30分30秒 東経139度23分18秒 / 北緯35.50833度 東経139.38833度 |
史跡勝坂遺跡公園 | |
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分類 | 都市公園(歴史公園) |
所在地 |
神奈川県相模原市南区磯部
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面積 | 1.99 ha |
運営者 | 相模原市 |
駐車場 | あり |
公式サイト | 相模原市HP |
勝坂遺跡(かつさかいせき/かっさかいせき[1])は、神奈川県相模原市南区磯部にある縄文時代の遺跡。国の史跡に指定されている。
縄文時代中期前半頃(約5000年前)の大集落跡で、勝坂式土器の名前の由来となった、関東地方における標式遺跡の1つである。都市公園(歴史公園)の「史跡勝坂遺跡公園」として整備されている[2]。
概要
1926年(大正15年)に大山柏により発見された[3][4]。この遺跡からは多くの土器や打製石斧が出土している。そのなかでも、装飾的な文様や顔面把手(顔を表現した取っ手)などの特徴を持つ土器は、後に勝坂式土器と命名されている。また、打製石斧も土を掘るものと考えられ、縄文時代において農耕の可能性を示すものとして注目を浴びた。
1974年(昭和49年)に集落遺跡の一部の約2ヘクタール(勝坂D区)が国の史跡として指定された。D区は1980年と1984年に史跡の追加指定が行われ、2006年(平成18年)1月26日には近接した3,797.61平方メートル(勝坂A区)も史跡の追加指定がなされている[1]。
遺跡の西側の「有鹿谷」には、有鹿神社の奥宮がある。この谷では祭祀遺跡の勝坂有鹿谷遺跡が発見されている[5]。
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勝坂式土器発見地
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A区
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D区 1号建物(復元)
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D区 1号建物内部
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D区 3号建物(復元)
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D区 23号建物跡
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D区 30号柄鏡形竪穴建物(敷居住居)跡(複製)
文化財
国の史跡
- 勝坂遺跡 - 1974年(昭和49年)7月2日指定、1980年(昭和55年)10月22日・1984年(昭和59年)1月11日・2006年(平成18年)1月26日に史跡範囲の追加指定[6]。
相模原市指定文化財
交通
脚注
- ^ a b 史跡勝坂遺跡公園(歴史公園)(相模原市公式ホームページ)
- ^ 公園・緑地 - 南区の公園一覧(相模原市HP)
- ^ 『相模原市埋蔵文化財調査報告36集 国指定史跡勝坂遺跡D区』相模原市教育委員会、2009年3月30日、9頁。
- ^ 大山柏『神奈川縣下新磯村字勝坂遺物包含地調査報告』小宮山健彦、1972年6月30日、1頁。
- ^ 有鹿神社と鈴鹿明神(歩いて郷土の歴史を学ぶ会)
- ^ 勝坂遺跡 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- ^ 勝坂遺跡出土縄文時代草創期遺物(相模原市ホームページ)。
- ^ 勝坂遺跡D区出土のマメ圧痕土器(相模原市ホームページ)。
外部リンク
- 勝坂遺跡 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- 史跡勝坂遺跡公園(歴史公園)(相模原市公式ホームページ)
固有名詞の分類
- 勝坂遺跡のページへのリンク