中村家と勝坂遺跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 02:49 UTC 版)
「中村家住宅 (神奈川県)」の記事における「中村家と勝坂遺跡」の解説
1926(大正15)年の夏、中村家当主であった中村忠亮氏の所有する畑から出土した土器片二つを、学生・清水二郎氏(大山家家令の縁者)が考古学者の大山柏氏に提供した。このことが勝坂遺跡発見のきっかけとなった。この厚手で装飾性豊かな土器はのちに「勝坂式土器」と名づけられ、中部・関東地方の縄文時代中期のめやすとされた。 大山氏による最初の発掘場所は、旧中村家住宅裏手の勝坂遺跡A区内にあたり、「勝坂式土器発見の地」として相模原市教育委員会が案内板を設置している。
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