研究史概要とは? わかりやすく解説

研究史概要

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 23:49 UTC 版)

勝坂式」の記事における「研究史概要」の解説

勝坂式土器は、器壁が厚いことから鳥居龍蔵によって縄文時代後期堀之内式などに代表される薄手に対して厚手式と呼ばれる土器群の代表的なものであった1926年大山柏率い大山史前学研究所現在の神奈川県相模原市南区磯部勝坂遺跡発掘調査によって検出され土器群について、山内清男1928年著した下総上本郷貝塚』で、諸磯式と加曾利E式の間に位置づけ、『縄文土器細別大別』(1937年)で中期初頭五領ヶ台式と中期後半加曾利E式の間に「勝坂式」として位置付けた。一方長野県八ヶ岳山麓で、井戸尻遺跡はじめとする縄文時代中期集落発掘調査行い住居跡良好な一括資料住居跡切り合い関係から、藤森栄一らは、貉沢(むじなざわ)式、新道(あらみち)式、藤内式I、II式、井戸尻I、IIIII式の編年1965年に『井戸尻』にて提唱した藤森による編年は、型式的な内容把握した完成度の高いものであったことから、1969年安孫子昭二によって著された多摩ニュータウンNo.49遺跡報告書使われるなど次第普及していった。1980年代関東地方発掘調査事例増加に伴い藤内式を勝坂2式、井戸尻式を勝坂3式と対応させる編年提案されたり、細分化されたりなど修正加えられつつも現在まで編年基本的な図式として継承され続けている。つまり、勝坂式事実上古い順から、藤森編年における標式遺跡の名称である貉沢、新道藤内井戸尻冠して呼称され、それぞれ勝坂1式古相、同新相、勝坂2式、勝坂3式に対応される。

※この「研究史概要」の解説は、「勝坂式」の解説の一部です。
「研究史概要」を含む「勝坂式」の記事については、「勝坂式」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「研究史概要」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「研究史概要」の関連用語

研究史概要のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



研究史概要のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの勝坂式 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS