大山史前学研究所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 23:09 UTC 版)
大山史前学研究所は、渋谷区穏田一丁目(現在の神宮前5丁目5番)の大山邸内に設置されており、遺跡の調査研究、雑誌の刊行、出土品の展示、約10,000冊にも及ぶ蔵書の公開など、現代の国公立研究所にも劣らない機能を持っていた。この柏が私財を投じて設立した研究所は戦後の日本考古学の基礎を築いたのみならず、そこに集った多くの若い研究者はその後の日本考古学の発展に寄与した。 大山史前学研究所は学術雑誌『史前学雑誌』を刊行するとともに、100箇所以上の縄文遺跡を発掘して、その成果を次々に学会に発表した。研究所には甲野勇、宮坂光次、池上啓介、竹下次作、大給尹らの所員がおり、研究所の活動を支えていた。これら多くの業績を残した大山史前学研究所は、山階鳥類研究所、徳川生物学研究所と並んで「華族3大研究所」とも称される。 1943年(昭和18年)に柏が根室・室蘭守備隊に出征した後には、研究所は閉鎖状態となり、さらに戦争末期の1945年(昭和20年)5月25日、アメリカ軍による東京大空襲によって大山邸と史前学研究所は、所蔵していた多くの貴重な文献や資料もろとも全焼した。 戦後は大山家の財産の大半が没収されたこともあって、再興されることはなかった。研究所の跡地は現在マンションとなっており、往時の面影はない。
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