大山唐の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 04:45 UTC 版)
第40師団は1月1日以来金井(中国語版)(キンセイ)付近で第37軍との戦いを続けていたが、軍主力の反転援護のため春華山への前進を命令され、歩兵第236連隊を援護のため大山唐(金井―福臨舗中央の丘陵地帯)に残して転進した。 1月5日、大山唐に残された歩兵第236連隊はすでに弾薬の不足をきたしていたが(およそ20%以下)、中国軍(第37軍)の攻撃に備えて防御配置についた。1月6日、大山唐南端の警戒陣地(1個中隊守備)へ中国軍が迫撃砲の集中射と手榴弾兵の突撃を仕掛けてきた。1月7日未明には第37軍が大山唐へ一斉に攻撃を開始した。突然の猛砲撃に加え優勢な中国兵の突撃によって、歩兵第236連隊はたちまち100人以上の死傷者を出した(大隊長・中隊長など多数の将校も死傷)。連隊は、軍司令部へ武器・弾薬の空中補給を要請したが、弾薬は輸送機からの投下に失敗し補給できなかった。 一方、第40師団主力は第3師団の反転が順調に進んだため、反転を開始して歩兵第236連隊の救援に向かった。1月9日、師団は歩兵第236連隊との連絡に成功し、その撤収を援護して収容した(この時までに歩兵第236連隊の死傷者は約390名に達していた)。
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