やましな‐ちょうるいけんきゅうじょ〔‐テウルイケンキウジヨ〕【山階鳥類研究所】
山階鳥類研究所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/06 02:57 UTC 版)
山階鳥類研究所 |
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創立者 | 山階芳麿 |
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団体種類 | 公益財団法人 |
設立 | 2012年4月1日 |
所在地 | ![]() 千葉県我孫子市高野山115番地 |
法人番号 | 2040005016886 |
起源 | 財団法人山階鳥類研究所 |
主要人物 | 秋篠宮文仁親王(総裁) 壬生基博(代表理事理事長) 林良博(専務理事) 小川博(所長) |
収入 | 2億3821万5615円(2020年度)[1] |
支出 | 2億5342万0126円(2020年度)[1] |
基本財産 | 8億8045万9503円(2021年3月31日時点)[1] |
会員数 | 819(2021年3月31日時点)[1] |
ウェブサイト | www |
公益財団法人山階鳥類研究所(やましなちょうるいけんきゅうじょ、英語: Yamashina Institute for Ornithology)は、元侯爵の山階芳麿(旧皇族の芳麿王)が、1932年(昭和7年)に東京都渋谷区南平台町の自邸に創設した山階家鳥類標本館(やましなけちょうるいひょうほんかん)を母体に1942年(昭和17年)に設立した研究所。
概要
鳥類専門の研究所で、ヤンバルクイナの発見などで知られる。1984年(昭和59年)、手賀沼にほど近い千葉県我孫子市に移転した。創立者が皇族出身であることから皇室との縁が深く、1992年(平成4年)より2005年(平成17年)まで紀宮清子内親王(現:黒田清子)が非常勤研究員として勤めた。
2023年(令和5年)4月1日現在、総裁は秋篠宮文仁親王、理事長は壬生基博、専務理事は林良博、所長は小川博。設立当時は文部省(現:文部科学省)所管の財団法人であったが、公益法人制度改革にともない2012年(平成24年)4月1日付けで公益財団法人に移行した。
研究施設であり、一般公開はされていないが、月1回の所内見学会やジャパン・バード・フェスティバルでの「見にレクチャー」などが行われている(後述)。同研究所に隣接して建つ我孫子市鳥の博物館は、同研究所が我孫子に移転したのをきっかけに、1990年(平成2年)に建てられたもので、関係が深いが、組織上は(同研究所は民間団体であり、鳥の博物館は市立であって)別物である。同研究所の特徴は、鳥類研究の基礎となる各種の形態学的標本の収集保存、鳥類学と周辺諸分野の図書資料の収集保存、足環その他のマーキングによって個体識別した鳥類の渡りや寿命の調査、生息数のモニタリングを行う鳥類標識調査、アホウドリ・ヤンバルクイナ等の絶滅危惧種の保全研究などが挙げられる。
組織
歴代総裁
歴代理事長
- 山階芳麿(1942年〈昭和17年〉 - 1989年〈平成元年〉)[3]
- 浅野長愛(1989年〈平成元年〉 - 2004年〈平成16年〉)[3]
- 島津久永(2004年〈平成16年〉 - 2015年〈平成27年〉6月12日)[3]
- 壬生基博(2015年〈平成27年〉 - )[3]
歴代専務理事
- 法華津孝太(1977年〈昭和52年〉 - 1989年〈平成元年〉)[3]
- 今村武俊(1989年〈平成元年〉 - 1991年〈平成3年〉)[3]
- 柳瀬孝吉(1991年〈平成3年〉 - 2001年〈平成13年〉)[3]
- 加藤陸美(2001年〈平成13年〉 - 2012年〈平成24年〉)[3]
- 林良博(2012年〈平成24年〉 - )[3]
歴代所長
- 山階芳麿(1942年〈昭和17年〉 - 1989年〈平成元年〉)[3]
- 黒田長久(1989年〈平成元年〉 - 2002年〈平成14年〉)[3]
- 山岸哲(2002年〈平成14年〉 - 2010年〈平成22年〉)[3]
- 林良博(2010年〈平成22年〉 - 2017年〈平成29年〉)[3]
- 奥野卓司(2017年〈平成29年〉 - 2022年〈令和4年〉)[3]
- 小川 博(2022年〈令和4年〉 - )[3]
就業日・時間
- 土日祝日・年末年始を除く月〜金曜日、10時〜17時
見学
研究機関であり、展示や公開のスペースはない。
- 所内見学会:原則として毎月第4金曜日に見学会(午前、午後の各2回、いずれも約1時間)を行っている。これは、所内の各部署を案内するものではなく、講堂で、映像等で同研究所の概要を紹介するものである。事前予約が必要[4]。
- 山階鳥研 見にレクチャー:毎年秋に我孫子市内で行われるジャパン・バード・フェスティバルにおいて、山階鳥類研究所の講堂を会場に、所員がスライド(パワーポイント)を用いて研究紹介や、研究所の紹介を行う催し。2006年から「一般公開」と題して、同じ内容の催しを行っていたが、「一般公開」という名称が所内の各部署を見学できるような誤解を招くことから、2009年(平成21年)から「山階鳥研 見にレクチャー」と名称を改めた。2013年(平成25年)に行った内容は、整理券により入場した来場者に、講堂で、1回30分の研究紹介や、研究所の紹介を行うものであった[5]。今後も引き続き同様の催しを行うかどうかは確認が必要である[4]。
- テーマトーク (会場:我孫子市鳥の博物館):山階鳥類研究所の建物を見学できるものではないが、山階鳥類研究所の職員の話が聞ける催し。2011年(平成23年)に、隣接の我孫子市鳥の博物館で、同研究所の職員が「テーマトーク」として、毎月第2土曜日の午後に、鳥類の研究について一般向けに解説を行う催しが始まった[4]。2018年度も引き続き実施されるが、開催日は毎月第3土曜日となった。さらに開催のない月もあるのでウェブサイトで確認するのが望ましい。
脚注
関連項目
外部リンク
山階鳥類研究所
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1931年(昭和6年)秋:山階家の私邸内に山階鳥類研究所の前身である山階家鳥類標本館(東京府豊多摩郡渋谷町上渋谷(現在の東京都渋谷区南平台))を私費を投じて建設着工する。冷暖房がない時代であったので、2階の標本室が外の気温に直接影響されないよう、天井を2層にした(このため、東京大空襲の際も標本は無事であった)。 1932年(昭和7年)春:山階家鳥類標本館の完成(建設費は当時の金額で5万円)。鉄筋コンクリート2階建て126坪(416平方メートル)で、1階が研究室と図書室、2階が標本室。完工後、約1年間湿気を抜いた。 アジア・太平洋地域の鳥類標本収集を開始し、1933年(昭和8年)5月に山階家鳥類標本館開所式を行なった。春から標本類などを運び込む。山階家鳥類標本館の体制は、芳麿 館長(格)で、研究員には北大出身の山田信夫、飼育担当は妻の寿賀子と佐藤勇吉、佐久間英松の3人、標本・図書管理が日和三徳、標本採集のための嘱託が折居彪二郎であった。1942年:文部省から財団法人としての認可を得て、財団法人山階鳥類研究所を設立した。今日においても鳥類研究の機関として運営されている。 1945年(昭和20年)3月10日:この日の空襲を含む「東京大空襲」において焼夷弾の直撃を10発うけるが2重の天井のため、炎上しなかった。ただし、天井にひびが入り、雨漏りがするようになった。1966年(昭和41年)、戦災のため雨漏りがするようになった2階を補修するため、天井の上に1階を継ぎ足し、3階建とした。 1992年(平成4年)財団設立50周年を記念して山階芳麿賞が創設された。 2009年(平成21年)5月1日現在の総裁は秋篠宮文仁親王。
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