研究史の確認
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 03:50 UTC 版)
最初に、三像の研究史を丹念に辿る。三像の比定作業は明治時代の文化財調査によって急いでなされた中での出来事であり、その判断は極めて粗く、その訂正の歴史を確認する。そうした中で、比定の大きな根拠となっていた『神護寺略記』と「大英博物館本源頼朝像」は、神護寺三像との関係は否定されているのに、像主名だけは変更されずにいる不条理を指摘する。残る論拠は、神護寺に代々頼朝像として伝わってきたという伝承(寺伝)しか残っていない。しかし、そもそも寺伝は、時代が下るとより有名な人物、もしくは寺にとって重要な人物に仮託される傾向がある。また、史料上でも三像を頼朝像などと記すのは、寛永14年(1637年)に作成された『神護寺霊宝目録』(内閣文庫蔵)までしか遡れず、根拠にはなり難い。
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