研究史と記載
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/10/21 05:39 UTC 版)
「ピヴェテアウサウルス」の記事における「研究史と記載」の解説
ピヴェテアウサウルスのタイプ標本となった部分的な脳函の化石(MNHN 1920-7)は最初1923年に古生物学者ジャン・ピヴェトーによりイラストと写真で記載された。この脳函は大型のアロサウルスのものに匹敵しアルゼンチンで発見された別のメガロサウルス類のピアトニツキーサウルスのものに似ている。ピヴェトーはこの部分的な頭骨と以前に同じ地域で発見されフランスの博物学者ジョルジュ・キュヴィエによって記載されていた他の標本と一緒にした。1861年にイギリスの古生物学者リチャード・オーウェンはこれら断片をストレプトスポンディルスの一種Streptospondylus cuvieriのものとし、ピヴェトーは自身の発見した頭骨を同じ種に含めた。 MNHN 1920-7は地域の収集家Dutacqによりフランス、ノルマンディーのDives近くのVaches Noiresの崖にある(上部ジュラ系)オクスフォード階(英語版)の地層で発見されたと考えられ、 1920年にアマチュア地質研究家Cazenaveにより報告されたのち、国立自然史博物館の教授マルスラン・ブールが手に入れた。後にこの岩石はより古いもの(上部カロヴォ系(英語版)、1億6100万年前)と再評価された。 MNHN 1920-7は1964年にアリック・ウォーカー(英語版)によりオルニトスクスの研究とカルノサウルス類の進化についての研究の一部として再評価が行われた。ウォーカーはMNHN 1920-7をこの標本をホロタイプとするエウストレプトスポンディルス属の新種E. divesensisとした。キュヴィエによって記載された他の断片的な化石およびオーウェンによりS. cuvieriのものとされた化石も「便宜上」こちらに移されたもののウォーカーは新種E. divesensisとする確信がなかった。この種は1977年にフィリップ・タケ(英語版)とサミュエル・ウェルズ(英語版)によりピヴェトーにちなんで命名された独自の属ピヴェテアウサウルス(Piveteausaurus)に分類された。タケとウェルズはウォーカーが便宜上で頭骨と関連させた頭骨以外の化石をこの種から除外した。後にグレゴリー・ポールは脳函をプロケラトサウルス(Proceratosaurus)の一種(P. divesensis)とみなしたが、他の研究者からはこの説は拒絶されている。 脳函は明らかに独特であるものの、化石は限定的で分類は容易ではない。この化石はケラトサウルス、エウストレプトスポンディルス、プロケラトサウルスのものと比較され、何度も後者2属の一種と解釈された。
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