研究史、異教 対 異端
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/27 01:31 UTC 版)
「グノーシス主義」の記事における「研究史、異教 対 異端」の解説
グノーシス主義の研究史を通じて、この思想の理解については2つの根本的に異なる立場が存在している。一方はグノーシス主義をキリスト教とは別個の、オリエントに起源を持つ「東方」の宗教であるとし、その非キリスト教(異教)的側面を強調する姿勢である。もう一方はグノーシス主義をキリスト教内部の異端、あるいはギリシャ哲学に影響を受けた宗教哲学の出発点としてキリスト教史のなかに位置づけようとする姿勢である。今日では、グノーシス主義をキリスト教とは別個の宗教思想であると考える立場が主流である。 グノーシス主義に関する初期のキリスト教文献、初期教会教父たちによる種々の異端反駁文書の中において、グノーシス主義はキリスト教内部の異端思想として扱われている。グノーシス主義的異端思想は2〜4世紀のキリスト教会に様々な形をとって現れ、猛威をふるい、その異端思想はエリート的な性格と肉体的存在者に価値を認めない悲観主義に特徴がある。リヨンのエイレナイオス、ヒッポリュトス、テルトゥリアヌスなどがグノーシス主義を主要な対象として、正統信仰擁護の著作を残している。彼らの著作から、グノーシス主義的異端説に対する反駁を通して初期の聖書解釈やキリスト教神学が確立していったことがわかる。 ルネサンスの時代には、新プラトン主義と『ヘルメス文書』がヨーロッパで流行した。今日では『ヘルメス文書』に含まれるいくつかの著作はグノーシス主義のものであったことが明らかにされている。19世紀後半から20世紀半ばには、コプト語で書かれたグノーシス文献が相次いで公刊され、研究資料はだいぶ整えられた。 資料の充実と前後して、近代的なグノーシス研究も開始された。その契機となるのはバウルの『キリスト教グノーシス、あるいはキリスト教宗教哲学の歴史的展開』である。これに続いたのがハルナックの教会史的グノーシス研究で、彼はグノーシス研究に史料批判の手法を持ち込んだ。これら初期のグノーシス研究はキリスト教の教会史からグノーシス主義を捉えるもので、その思想をキリスト教のヘレニズム化・「東方」化したものと考えていた。 それに対し、ブセットは1907年、『グノーシスの中心的諸問題』を著し、このなかで彼はグノーシス主義をキリスト教の教会史のなかにとどめずに、その外側にあるオリエント的な宗教思想として捉える見解を示した。これを継承したのがリヒャルト・ライツェンシュタイン(英語版)であり、彼はグノーシス主義をキリスト教以前の別個の宗教で、当時の様々な秘儀宗教に影響を与えたとした。この後のグノーシス研究で最も影響が大きかったと考えられるのがハンス・ヨナスで、彼はグノーシス主義が厳格な二元論的世界観に基づいていることを明らかにし、さらにグノーシス主義を古代末期に最も影響を持った主流思想であったと位置づけた。 1950年に『ナグ・ハマディ写本』の最初の総括的研究報告が発表されると、グノーシス主義についての理解は大きく転回した。まず文書のなかにキリスト教的なものと非キリスト教的なものが混在しており、これはおそらくグノーシス主義とキリスト教が本来別個であったことを示していると考えられている。さらにグノーシス主義はユダヤ教の神話やギリシャ哲学とも密接な思想的相互交流をおこなっており、その思想をかなり取り入れていることも明らかとされた。
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