加茂遺跡 (津幡町)とは? わかりやすく解説

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加茂遺跡 (津幡町)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/02 16:33 UTC 版)

加茂遺跡
加茂遺跡
加茂遺跡
加茂遺跡 (津幡町) (日本)
所在地 日本 石川県河北郡津幡町
座標 北緯36度41分15秒 東経136度42分47秒 / 北緯36.68750度 東経136.71306度 / 36.68750; 136.71306座標: 北緯36度41分15秒 東経136度42分47秒 / 北緯36.68750度 東経136.71306度 / 36.68750; 136.71306
面積 46,804.96 sq.m.
歴史
時代 奈良時代 - 平安時代

加茂遺跡(かもいせき)は、石川県河北郡津幡町にある、奈良時代平安時代遺跡2015年3月10日に国の史跡に指定された。また、この遺跡の出土品である「加賀郡牓示札」も、2010年に国の重要文化財に指定されている。

概要

河北潟宝達山脈とに挟まれた平野部に位置し、加賀国越中国能登国の境界付近にあたり、遺跡の東端付近を北陸道駅路が通過している[1]平成12年の調査では、駅路側溝に連結する大溝から百姓の心得を記した加賀郡牓示札をはじめとする複数の木簡が出土し注目を集めた。河北潟につながる東西方向の南北2本の大溝に沿って、倉庫をはじめとする複数の掘立柱建物や仏堂跡が検出されている[1]

駅路の敷設と廃絶時期が南北二つの大溝周辺の掘立柱建物群の成立時期と廃絶時期に合致すること、二つの大溝は遺跡と河北潟を結ぶ運河としての機能が考えられ、大溝の岸に沿って倉庫群が造られていることなどから、この遺跡は日本海の海上交通と北陸道駅路を用いた物資の運搬に関わる公的な性格が考えられる[1]。また加賀郡牓示札等の出土木簡からは、百姓の管理のための施設や剗としての機能も有していたことが推測される[1]

水陸双方の交通に関連する施設であるとともに、百姓の管理などさまざまな機能を持った加賀郡家(郡衙)の出先機関である可能性が考えられ、奈良時代から平安時代の交通政策のみならず,地方支配の実態を知る上で重要である[1]。そのため、2015年3月10日に国の史跡に指定された[1]

加賀郡牓示札

加賀郡牓示札(複製)
国立歴史民俗博物館展示。

加賀郡牓示札は、加茂遺跡から出土した嘉祥年間(848年~851年)の文書木簡である。加茂遺跡は古代北陸道の要衝で、交通史を考える上で重要な遺跡でもある[2]。本牓示札の唯一の遺例で、その内容からは国司の勧農政策を遂行するための命令および伝達の方法、文書行政の姿、律令制の変容など、当時の状況を具体的に知ることができ、その記録性が高い。2010年6月19日、この牓示札は国の重要文化財に指定された[2]。寸法・重量は、縦23.7cm・横61.3cm・厚1.7cmである[2]。現在は石川県埋蔵文化財センター(石川県金沢市中戸町18-1)に保存されている[2]

出典

  1. ^ a b c d e f 国指定文化財等データベース”. kunishitei.bunka.go.jp. 文化庁. 2020年11月15日閲覧。
  2. ^ a b c d 国指定文化財等データベース”. kunishitei.bunka.go.jp. 文化庁. 2020年11月15日閲覧。

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