加茂遺跡 (南房総市)とは? わかりやすく解説

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加茂遺跡 (南房総市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/17 15:24 UTC 版)

加茂遺跡(かもいせき)は、千葉県南房総市加茂(旧豊田村)にある縄文時代前期後半から中期にかけての泥炭遺跡である。千葉県指定史跡座標: 北緯35度0分57秒 東経139度57分7.24秒 / 北緯35.01583度 東経139.9520111度 / 35.01583; 139.9520111

加茂遺跡

概要

丸山川下流の渓谷にそびえる標高20mの丘陵の裾にある扇状地に形成された沖積低地に存在する。ただし、居住地域は丘陵部にあったと推定されている。

1938年昭和13年)に工事をした際、丸木舟及びが出土したことから遺跡の存在が知られていたが、本格的な発掘調査1948年(昭和23年)慶應義塾大学考古学研究室によって行われた。縄文時代の地層からは以前発見されたものと同じようなムクノキ製の丸木舟や櫂が発掘され、この丸木舟は長らく日本最古とされていた。また、イヌガヤ製の丸木弓や、諸磯式土器をはじめとして五領ケ台・勝坂・阿玉台式などの各種縄文土器なども発掘された。貝塚は確認できなかったものの、クリシイオニグルミの残骸、サメイルカシカイノシシの骨なども見つかるなど、この地域が山海の産物に恵まれていた地域であったことが判明した。特に出土した諸磯式土器a式の中から赤漆を塗ったものが発掘されたことから問題となった。当時は技術弥生時代あるいは古墳時代渡来人によって伝来されたと考えられていたからである。だが、その後の考古学の進歩によって漆塗りの道具が他の遺跡の出土品でも見つかり、縄文時代の日本には既に漆を塗る技術があったと考えられるようになった。

現在、遺跡のあった土地は多くが水田となっているが、出土品は慶應義塾大学の他、遺跡近くに設置された「加茂遺跡縄文資料館」にも一部が保存展示されている。

参考文献

  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 12』(千葉県)(角川書店、1984年) ISBN 978-4-040-01120-2
  • 『日本歴史地名大系 12 千葉県の地名』(平凡社、1996年) ISBN 978-4-582-49012-1
  • 小林謙一「加茂遺跡」『日本古代遺跡事典』(吉川弘文館、1995年) ISBN 978-4-642-07721-7



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