先史時代の丸木舟
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 15:03 UTC 版)
日本での先史時代の丸木舟の発見例はおおよそ200例ほどで、その分布は関東地方に最も多く150例近くあり、そのうち千葉県での発見例は100例を数え日本全体の半分を占める。各地域での発見例では、千葉県北東部の縄文時代のラグーン(潟湖)が湖沼群として残る栗山川中流域での出土がことに多く、流域には山武姥山貝塚などの貝塚も分布している。次に多いのが滋賀県の琵琶湖周辺で25例ほどあり、福井県から島根県にかけての日本海側がこれにつづく。また、大阪湾では古墳時代のものと推定される大型のものの出土例が何例かある。 日本の先史時代の丸木舟の出土例の多くは縄文後・晩期のものであるが、縄文早期や前期の出土例もある。これまで縄文前期の丸木舟として、福井県若狭町の鳥浜貝塚、京都府舞鶴市の浦入遺跡、島根県の島根大学構内遺跡、長崎県多良見(たらみ)町の伊木力(いきりき)遺跡、埼玉県草加市の綾瀬川や千葉県多古町の栗山川流域遺跡群などの出土例が報告されており、2013年には千葉県市川市の雷下遺跡(かみなりしたいせき)で、日本最古の縄文時代早期のものとみられる丸木舟が出土した。このうち、千葉県多古町の栗山川流域遺跡群で1995年に出土したムクノキの丸木舟は全長が7.45メートルあり、京都府舞鶴市の浦入遺跡で1998年に出土したスギの丸木舟の現在長は4.4メートルであるが全長8メートル、幅0.85メートルと推定されている。また、埼玉県草加市の綾瀬川出土や千葉県市川市の雷下遺跡出土のものもこれに次ぎ、このような大型の丸木舟は海洋での使用が十分可能であり、縄文前期には人々は、丸木舟に乗って島々に出かけていたと推測される。 東北地方の発見例 宮城県宮城県多賀城市の市川橋遺跡で、1998年に古墳時代後期のものと推定される、全長5.2メートル、最大幅65センチメートルのホオノキの丸木舟が出土している。 関東地方の発見例 千葉県千葉市 - 終戦後の1947年7月、千葉市畑町の東京大学検見川厚生農場(現・東京大学検見川総合運動場)の一部を借り受け草炭を採掘していた現場で、ほぼ完全な形の丸木舟が見つかった。この発見はその後の丸木舟の研究の原点となる発見だった。そして1951年3月には3粒のハスの実が見つかり、このうちの1粒が発芽に成功、ピンク色の大輪の花を咲かせ大賀ハスと名づけられた。 南房総 - 1948年12月に安房郡豊田村(現・南房総市)加茂遺跡で発見された全長7メートル、幅50センチメートル、今から5,200年前の縄文時代中期初頭のものとされるムクノキの丸木舟は、長らく日本最古とされていた。 九十九里地方 - 九十九里浜沿岸での発見例は千葉県全体の8割に及ぶが、そのほとんどは栗山川水系での発見である(匝瑳市:30艘以上、香取郡多古町:20艘以上、山武郡横芝光町:18艘、他)。また、匝瑳市の宮田下遺跡では、丸木舟と杭列が発見され、繋留された丸木舟が想像される。これらの丸木舟の大部分は縄文時代後期から晩期のものとされているが、詳細な年代の特定がされていないものも多く、埋め戻されたものも少なくない。その中で1点のみ挙げれば、1995年に多古町の栗山川流域遺跡群で発見された全長7.45メートル、ムクノキの丸木舟がある。測定に基いて得られた年代は今から5,500年前、縄文時代前期にあたり、市川市の雷下遺跡出土のものに次ぐ古さである。 市川市 - 2013年11月に市川市の雷下遺跡で、長さ約7.2メートル、幅約0.5メートルのムクノキ製の丸木舟が出土した。縄文時代早期の約7,500年前のものとみられ、日本最古と考えられている。 埼玉県埼玉県出土の丸木舟は25艘以上で、まだ相当数の丸木舟が埋まっており、全て掘り出せばおそらく30艘にはなるだろうとされている。1929年の綾瀬川の川底さらいで金明町地内から発見され草加市立歴史民俗資料館に展示されている長さ6.06メートル、幅67センチメートルのカヤの木の丸木舟は、2001年に年代測定を行った結果、今から5,300年前の縄文時代前期のものであることが判明した。 茨城県茨城県では17例の出土が伝えられている。最も古い発見例は安政年間のもので、大宝沼干拓の際発見され下妻市の大宝八幡宮に保管されている。 東京都北区上中里の中里遺跡では、1989年の東北新幹線建設工事に伴い今から4,700年前の縄文時代中期の丸木舟が発見された。全長5.79メートル、最大幅72センチメートル、厚さ2~5センチメートル、ムクノキ製で、縄文時代中期の海岸線や波蝕跡を示すいわゆる「中里海岸」にて、その海岸の汀線から舳先を東京湾に向け、今しも漕ぎ出さんばかりの完全な形での発見であった。東京都内で出土した唯一の縄文時代の丸木舟であることなどから、2004年3月に東京都の有形文化財に指定された。 神奈川県神奈川県での発見例は、横須賀市久里浜の伝福寺遺跡から出土した、縄文時代中期初頭の、ムクノキ製、現存長3.04メートル・現存幅37.5センチメートルの丸木舟1艘のみであるが、地形的に見ても久里浜湾内で使われていたものと推定される。 近畿・北陸地方の発見例 滋賀県滋賀県の丸木舟出土は、そのほとんどが内湖かあるいは内湖の近くからであり、4遺跡から25艘以上見つかり、中でも彦根市から米原町にかけての松原内湖・入江内湖遺跡では17艘見つかっている。 福井県・京都府(若狭湾周辺)福井県若狭町(鳥浜貝塚・ユリ遺跡) - 2006年11月から2007年7月にかけて行った福井県埋蔵文化財調査センターの発掘調査で、縄文時代後期ごろの地層から丸木舟5艘が見つかった。同遺跡では以前の調査でも、今回の発掘現場近くから4艘の丸木舟が見つかっており、1981年7月に見つかった縄文時代前期のものは当時日本最古とされていた。 京都府舞鶴市(浦入遺跡) - 関西電力舞鶴発電所建設に伴い、1995年6月から1998年5月にかけ、浦入遺跡群の発掘調査が行われこの調査により出土した丸木舟(現存長4.4メートル)は、全長8メートル、幅0.85メートルと推測され、日本最古・最大級とされていた。この丸木舟より若干新しい時期の杭やイカリ石も発見され、桟橋のような施設があったこともうかがわせる。 大阪府大阪市では、古くから全長10メートルを超える大型の刳舟が発見されることで知られており、単材刳舟ばかりではなく複材化した準構造船と呼べるものも出土している。しかし多くのものは第二次世界大戦の戦火で失われた。残っているものには1930年に大阪市福島区の船津橋遺跡で出土したラワン材の丸木舟もある。これら大阪市出土の丸木舟は古墳時代のものと推定され、大型のものが多く河川用ではなく大阪湾から海洋で使用されていたものと推定されている。中央区の森ノ宮遺跡では、海辺に蔓を撚った縄を巻き付けた碇石が2メートルほどの間隔で4点並んで発見されている。 山陰地方の発見例 鳥取県鳥取県鳥取市桂見の桂見遺跡では、1993年と1995年に海洋での使用も可能な大型の丸木舟(全長7.24メートルおよび6.41メートル、縄文時代後期中葉のもの)が発見されている。 島根県島根県での丸木舟出土例は7例あり、島根大学構内遺跡では、今から6,000~5,000年前頃の縄文前期の泥炭層から、長さ約6メートルのスギ板材(丸木舟推定板材)とカイ2本とヤス柄などが出土している。また島根県益田市久城町の沖手遺跡から2005年に出土した丸木舟は、弥生時代中期前葉のものの可能性がある(縄文時代後期から晩期の丸木舟の出土例は数多くあり、弥生時代の丸木舟の方が資料価値は高い)。 九州地方の発見例 長崎県長崎県西彼杵郡多良見町(現・諫早市)にある伊木力遺跡は、縄文・弥生から中世にいたる複合遺跡で、土器や石器のほか縄文時代早期~前期の丸木舟の船底部分が出土、日本最古級とされている。また縄文時代の丸木舟としては九州で初の発掘とされている。船底部のみで、フナクイムシによる腐食が激しいため、破損して放置されていたものだと考えられている。周辺からは錨に用いたと考えられる石が複数見つかっている。
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