先史時代における都市の発展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/10 03:35 UTC 版)
「ウェイイ」の記事における「先史時代における都市の発展」の解説
ウェイイの発展の様子は、台地上とその周辺の墓と集落の時代ごとの数から人口統計学的に推定できる。この地に人間が住み始めたのは、考古学的証拠から青銅器時代末の紀元前10世紀とされている。このころ、台地を含む広いエリアに小さな集落が分散して存在していた。紀元前9世紀になって鉄器時代になると(ヴィラノヴァ文化)、台地上に出土品が集中するようになるが、個々に独立した集落とそれぞれの集落専用の墓が見つかっている。紀元前8世紀から7世紀にかけて人口が増え、水槽のある広場を中心に格子状の街区が広がっている都市が見られるようになった。この考古学的証拠から、紀元前10世紀から住み着いていたエトルリア人と思われる人々が紀元前7世紀にウェイイという都市を形成していったと推測できる。 初期のウェイイでは、同じ家系でも土葬と火葬の両方を行っている。当初は火葬が90%だったが、紀元前9世紀には半々になっている。紀元前8世紀には土葬が70%に増えており、紀元前9世紀から土葬が支配的だったラティウムの影響を示している。 紀元前9世紀から紀元前8世紀にかけて、人口密度と副葬品が増え続けた。人口が増え富が蓄積されると共に貧富の差も大きくなっていき、富裕階級が生まれた。紀元前8世紀には轆轤(ろくろ)と文字がギリシアからもたらされた。この間、集落は台地の周辺に広がっていった。しかし、ある集落 (Casale del Fosso) は紀元前9世紀末から紀元前6世紀末まで台地の北にある墓地をずっと使い続けていた。
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