山武姥山貝塚とは? わかりやすく解説

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山武姥山貝塚

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/14 07:48 UTC 版)

山武姥山貝塚(さんぶうばやまかいづか)は、千葉県山武郡横芝光町姥山にある縄文時代中期から晩期にかけての貝塚で、縄文晩期の姥山式(姥山I、II、III、IV式)土器標式遺跡である。市川市姥山貝塚と区別するため、「山武姥山貝塚」と呼ばれる[1]

座標: 北緯35度40分08.4秒 東経140度26分39.9秒 / 北緯35.669000度 東経140.444417度 / 35.669000; 140.444417

山武姥山
貝塚

概要

台地上に形成された貝塚であり、直径約120メートルの範囲に8箇所の貝層クラスタが谷頭に面して形成された点列環状貝塚と環状貝塚との中間と位置付けられ、縄文時代中期から晩期にかけ、今から5,000年前に始まり2,500年前迄続いた村であったと推定されている。点在する貝塚が全体で馬蹄形をなしているが、時期によって貝塚の位置が移動し、最終末になると貝塚はほとんどなくなっている。貝は、チョウセンハマグリダンベイキサゴヤマトシジミウミニナバイシオフキを主体とする半鹹半淡の貝塚である[2]

1956年昭和31年)以来、6回にわたる発掘調査が行われ、数多くの遺物が発見された[3]

周辺

周辺には、中台貝塚、鴻ノ巣貝塚、木戸場貝塚、牛熊貝塚など多くの貝塚があり、東側に縄文時代の丸木舟が多数発見されていることで知られた水系である栗山川と、南側にそのラグーンであったと推定される坂田池がある(丸木舟の出土例は栗山川の若干上流の多古町および匝瑳市に多い)。また、北側には表情豊かな人物埴輪が出土したことで有名な芝山古墳群(殿塚・姫塚)がある。

脚注

  1. ^ 縄文時代遺跡 横芝光町ホームページ
  2. ^ 横芝光町教育委員会『山武姥山貝塚 : 展示図録 : 平成31年度調査報告書』横芝光町教育委員会、2020年。doi:10.24484/sitereports.70311https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/70311。"令和2年に町民ギャラリーで展示した「山武姥山貝塚」の図録、及び平成31年に緊急調査した発掘調査報告書である。"。 
  3. ^ 山武姥山貝塚 - ちば観光ナビ 千葉県公式観光サイト

関連項目

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