綾瀬川とは? わかりやすく解説

あやせ‐がわ〔‐がは〕【綾瀬川】

読み方:あやせがわ

埼玉県東部南東流れる川。草加(そうか)市付近から南流して東京都足立区入り葛飾区中川合流する長さ48キロ上流付近農業用水として利用されている。


中川

と緑が織りなす潤いのある「中川・綾瀬川」
中川は埼玉県羽生市上流端とし、大落古利根川新方川元荒川大場川など多く河川あつめて南下し東京都葛飾区高砂新中川分派します。さらに、中川七曲り呼ばれる蛇行区間経て綾瀬川と合流し上平井荒川平行して流れ江戸川区東京湾に注ぐ流路延長約81km、流域面積約811km2一級河川です。
綾瀬川は埼玉県桶川市上流端とする流路延長約47km、流域面積約176km2一級河川です。草加市古綾瀬川都県境花畑地先伝右川毛長川合わせ葛飾区上平井で中川に合流してます。
中川・綾瀬川の流域は、流域一帯勾配が非常にゆるやかな平地河川という特徴をもっているため、しばしば洪水見舞われきました。さらにその後急速に首都圏ベッドタウンとしての開発進んだことにより、その重要性高まってます。

東京都葛飾区で中川と綾瀬川は合流する (手前から荒川、綾瀬川、中川)
東京都葛飾区で中川と綾瀬川は合流する
手前から荒川、綾瀬川、中川)

河川概要
水系利根川水系
河川名中川
綾瀬川
幹川流路延長中川 81km
綾瀬川 48km
流域面積987km2
流域内人330万人
流域関係都県埼玉県東京都

中川・綾瀬川流域図
○拡大図
1.中川・綾瀬川の歴史
"利根川東遷事業により洪水の危険軽減された後の中川・綾瀬川流域低地帯地形生かした灌漑排水網が整備され新田開発が行われました。中川沿いの集落多くは、中川沿いに集中しており、自然堤防利用することで少しでも洪水の危険性から逃れつつ、舟運利用し集落形成していました。この地域河川との深い関わりの中で人々暮らし営まれてきたことから、現在も「」や「川」に因む地名多く見られます。"

灌漑洪水歴史
‐中川‐


中川は、埼玉県羽生市上流とし、大落古利根川元荒川大場川などの多く支川集めて南下し東京都葛飾区蛇行区間をへて、綾瀬川と合流上平井荒川平行して流れ江戸川区東京湾に注ぐ、流路延長84km、流域面積約1,00km2一級河川です。

流域の主な用水路と灌漑範囲
流域主な用水路灌漑範囲
参照
葛西用水土地改良区域図(平成15年度)、見沼代用水土地改良区域図(平成15年度)、中川の治水のあゆみ(埼玉県)、国土地理院2万5千分の1地形図 明治15年
中川の支川が、古利根川元荒川というところからもわかるように、中川は、江戸時代初期まで利根川荒川本流でした。その後江戸時代初期行われた利根川東遷などの事業によって本流移動流量減った旧流路はおもに用・排水路として使われるようになりました。特に支川大落古利根川は、葛西用水一部です。葛西用水は、現在の埼玉県羽生市本川俣から利根川取水し、途中古利根川逆川をへて、末端東京都足立区までつづく全長約40km(主流路長)の用排水路です。1600年初頭利根川東遷以降主に関東代官伊那氏一族によって開かれた伝えられ、現在でもなお中左岸一帯灌漑しています。
この葛西用水および1700年代中期開かれた見沼代用水等の用排水水路開発によって、新田開発が可能となり、流域河川蛇行繰り返す低湿地から、「江戸米倉」に変化し100万人都市江戸の生活を支えました
中川流域標高10m以下の低い地域占め割合多く古来から多く洪水悩まされてきた地域でした。利水洪水防御両立させるため、人々生活の知恵絞っていました

小合溜井模式図
小合溜井模式図
葛飾区郷土と天文の博物館 常設展示より
この模型は、現在の東京都葛飾区東水元一帯位置していた上小集落を、古地図元に復元したものです。この図から、流域人々暮らししのばれます。
まず、人々は中川の旧河道締め切り小合溜井ため池)とし、農業用水(上下之割用水)の水源としていました次に堤防築き洪水被害をうけやすい溜井側には畑を、安全な堤防内側には田んぼ住居築き暮らしていました
また、小合村周辺をはじめとした中川中流域には、水塚呼ばれる水防建築残ってます。水塚とは、水防のために高く土盛りし、その上建物をたてた水防建築で、洪水時に逃げるための舟まで軒先つるしてありました
このように、中川流域人々繰り返す洪水対応しながら生活を営んできました


‐綾瀬川‐

綾瀬川は、埼玉県桶川市上流端とする一級河川で、草加市古綾瀬川を、東京都埼玉県県境伝右川毛長川合わせ葛飾区で中川と合流してます。
綾瀬川は江戸時代以前には、荒川派川であり、大河であった考えられています。しかし、1600年代初頭伊奈備前守忠次により、荒川分流口に堤(備前堤)が築かれ荒川分離され以降農業の用・排水路としての役割を担うことになります
綾瀬川の一帯は、中川と同じく標高10m以下の地域大半しめます現在の草加市一帯も、かつては一帯低湿地で、人々は綾瀬川や中川が運んだ土砂堆積してつくられた、自然堤防の上行き来するしかなく、江戸時代初期は、おもな交通路はありませんでした
草加松原の風景
草加松原風景
江戸時代初期1630年頃、草加日光街道宿駅となり、本陣脇本陣を持つ宿場となりましたこの街道と宿場発展とあわせ、大雨ごとの洪水被害をなくすことと、農業用水の確保舟運に使うために、綾瀬川や伝右川などの整備行われたともいわれています。
現在、草加市内には草加松原呼ばれる1.5kmほどの旧街道と綾瀬川が平行して流れ区間あります。ここは、江戸時代整備植えられたといわれ、今も樹齢200年程度と言われる松並木残り、綾瀬川の代表的な風景として、人々親しまれています。
2.地域の中の中川・綾瀬川
"戦後から高度経済成長期にかけて人口急増し市街化急激に進展しました。この市街化に伴い湿地ひろがっていた一帯住宅地へとかわっていきました
古くから人口産業集積し高密度な都市形成した中川の下流域では広い水面都市の中で貴重な空間となってます。中川は河川敷ほとんどないことなどから、水面使った利用が盛んで、沿川自治体開催するイベントには毎年多くの人で賑わってます。綾瀬川は町の中心流れ川沿いには文化施設もあることから町の顔になってます。"

地域発展洪水への対策

 うけつがれる江戸小紋
うけつがれ江戸小紋
中川流域は、戦前までは、東京へ近郊野菜などを供給する農業地域でした。また、大正期以降染色工業や製紙工業など、中川の豊富なを使う工業盛んになりました。現在は中川での水洗い風景も殆ど見られなくなりましたが、江戸川区新小岩周辺では、現在も江戸小紋伝統受け継がれています。


江戸川、中川・綾瀬川流域の市街化の進展と鉄道の関連
江戸川、中川・綾瀬川流域市街化進展鉄道関連
中川・綾瀬川流域は、一帯勾配が非常にゆるやかな平地河川のため、古来から数多く洪水なやまされきました。さらに、草加市をはじめとした綾瀬川流域首都圏ベッドタウンとして、昭和45年以降人口急増鉄道沿線市街地急速に拡大したことにより、洪水被害急増しました。
この急激な都市化により、綾瀬川には多く汚濁物質流れこみ、昭和40年代ピーク汚濁がすすみ、国土交通省管理一級河川のなかで、全国ワースト1を昭和55年より15年間も継続するという不名誉な記録持ってます。
しかし、問題地域住民行政協力して取り組むことで、年々水質改善される傾向あります
もともと、洪水を受けやすい地域であったことに加え、この急速な市街地によって中川流域毎年のように浸水被害増加しました。そのため、中川は支川綾瀬川ともに河川改修貯水池活用土地利用適正化などを実施し流域全体洪水を防ぐ「総合治水対策」が進められています。
3.中川・綾瀬川の自然環境
"中川はボラマハゼモツゴ等が生息してます。底生生物は、ゴカイ見られるとともに淡水性ヤゴカゲロウ類が多く生息してます。鳥類ユリカモメスズメなど水面水辺及び都市部生息する種が多く見られます。水際にはヨシ群落オギ群落等の自然植生わずかに分布しオオヨシキリカヤネズミヒヌマイトトンボコムラサキ等も確認されています。上流部では、オオタカハヤブサ等の猛禽類確認されています。
中川の水質は、環境基準上回る状況続き一級河川水質調査結果では近年常にワースト上位位置してます。
綾瀬川の魚類は、下流部コイフナ等の汚濁に強い魚類確認されています。底生動物は、水質汚濁に強いシマイシビル、ユスリカ等が生息してます。綾瀬川は草地畑地面積少なく市街化進んでいますが、スズメムクドリ等が多く見られます。
綾瀬川の水質昭和40年代ピーク汚濁進みワースト1を平成55年から15年間も記録しましたその後流域が一体となった取り組みによりワースト1を脱却し環境基準満足する程度まで水質改善進んでます。"

中川の自然環境

中川の水源多くは、利根大堰から取水された農業用水となっているため、中川の流量かんがい期(5月9月)において、通常時多く水質もよくなっています。逆にかんがい期においては都市排水主体となるため、通常時流量少なく少なく水質悪化する傾向となってます。
中川の水質経年変化
中川の水質経年変化
中川の水質は、近年改善傾向ありますが、水質の汚染度をあらわすBOD75%値で、環境基準上回る状況続いてます。全国国土交通省管理一級河川水質調査では、近年常にワースト上位位置し早急な水質改善望まれています。

カワラヒワ
カワラヒワ
中川の上区間には河川背後農地寺社広がり一部高水敷見られます。川岸にはヨシ原があり、それらを利用するカモ類、サギ類、また周囲森林利用するカワラヒワなどがみられます。


モツゴ
モツゴ
中川の水域には、その多く汽水域であるため、全川を通じて海水魚であるボラが最も多くみられます。その他には、マハゼなどのハゼ科魚類や、モツゴニゴイなどコイ科魚類がみられます。

また、中川には、環境省絶滅危惧Ⅰ類に指定されるヒヌマイトトンボをはじめコムラサキなどのチョウやガの仲間カブトムシなどの甲虫類見られます。
4.中川・綾瀬川の主な災害
"中川・綾瀬川流域一帯は、昔から網の目のように多くの川が乱流していた氾濫原浸水被害繰り返されきました。さらに、昭和40年代から始まる急激な流域の都市化は遊水保水機能をなくし、相対的に治水安全度低下したことなどが相まって浸水被害がより大きなものになってきています。近年では、相次ぐ治水施設整備効果大きな洪水発生していないことなどから、大きな浸水被害発生していません。"


中川・綾瀬川の災害の歴史

中川・綾瀬川流域一帯は、昔から網の目のように多くの川が乱流していた氾濫原で、そのために、低地降った小水路を通って幹線水路到達する前に各所湛水生じたり、河道入ってからも流下能力超えるとすぐ氾濫し浸水被害繰り返されきました。さらに、昭和40年代から始まる急激な流域の都市化は遊水保水機能をなくし、流出量の増大氾濫区域のダメージポテンシャルの増大招き相対的に治水安全度低下したことなどが相まって浸水被害がより大きなものになってきています。近年では、相次ぐ治水施設整備効果大きな洪水発生していないことなどから、大きな浸水被害発生していません。

発生発生原因被災市町村被害状況
昭和33年9月26日台風22号流域自治体大部分浸水浸水面積:約27,840ha
浸水戸数:約41,500
昭和54年10月18日 台風20号埼玉県八潮市草加市浸水面積:約1,000ha
浸水戸数:約13,100
※綾瀬川流域のみ
昭和56年10月22日 台風24号埼玉県八潮市草加市越谷市浸水面積:約2,100ha
浸水戸数:約19,600
※綾瀬川流域のみ
昭和57年9月12日 台風18号流域自治体大部分浸水浸水面積:約27,700ha
浸水戸数:約36,400
昭和61年8月4日 台風10号埼玉県越谷市八潮市東京都足立区葛飾区など中・下流域浸水面積:約6,530ha
浸水戸数:約22,900
平成3年9月19日 台風18号埼玉県越谷市草加市東京都足立区など中・下流域浸水面積:約9,200ha
浸水戸数:約31,400
平成5年8月11月 台風11号埼玉県三郷市八潮市草加市越谷市など中・下流域浸水面積:約6,900ha
浸水戸数:約15,5900戸
平成8年9月22日 台風17号埼玉県春日部市八潮市中・下流域浸水面積:約2,400ha
浸水戸数:約2,800
平成12年7月7日 台風3号埼玉県越谷市草加市八潮市など浸水戸数:約1,100ha
浸水戸数:約800

(注:この情報2008年2月現在のものです)

綾瀬川

読み方:アヤセガワ(ayasegawa)

所在 埼玉県東京都

水系 利根川水系

等級 1級


綾瀬川

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/12 15:52 UTC 版)

綾瀬川
綾瀬川と草加松原(埼玉県草加市)
水系 一級水系 利根川
種別 一級河川
延長 49.0[1] km
平均流量 -- m3/s
流域面積 165.2[1] km2
水源 埼玉県桶川市
水源の標高 -- m
河口・合流先 中川東京都葛飾区
流域 埼玉県、東京都

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綾瀬川起点の碑(桶川市小針領家)

綾瀬川(あやせかわ、あやせがわ)は、埼玉県および東京都を流れる河川利根川水系中川の支流である。

地理

埼玉県桶川市の小針領家[1]の田園地帯の排水に源を発し、桶川市営運動場付近を流れ東に向かう。徐々に方向を南東に変えて北足立郡伊奈町蓮田市の境となる。右岸が上尾市に変わるところで、原市沼川を合わせる。以後蛇行しながら南東に流れ、いくつもの農業用水や排水路の水をあわせて次第に流量を増す。綾瀬川によって形成された低地によって大宮台地の片柳支台、鳩ヶ谷支台および岩槻支台が隔てられている。

以後中川低地に至り、草加市越谷市あたりでは川幅が数十メートルになる。しかし草加市で綾瀬川放水路を東に分け、一気に流量を減らす。綾瀬川放水路は洪水防止のために作られたもので、東京外環自動車道の下を通って中川に流れ込む[注釈 1]

草加市内では古綾瀬川を合わせ、東京都足立区と埼玉県八潮市の境に入る辺りで伝右川毛長川を合わせる。足立区では花畑運河で中川と連絡する。葛飾区荒川放水路の左に沿って流れ、葛飾区東四つ木で中川に合流英語版する。

荒川放水路が開削される前は、現在の旧綾瀬川を経由し隅田川に合流していた[2]

歴史

札場河岸公園(日光街道・綾瀬川の荷揚場跡、草加市)の芭蕉像

中世

戦国時代の頃は利根川荒川の本流であった。当時の利根川・荒川は、現在の綾瀬川源流の近く、桶川市と久喜市の境まで元荒川の流路をたどり、そこから現在の綾瀬川の流路に入った[2]。現在の元荒川下流は、当時星川のものであった。戦国時代にこの間を西から東につなぐ水路が開削されて本流が東に流れるようになり、江戸時代に備前堤が築かれて綾瀬川が分離した[3]。この経緯により、一部の地図には綾瀬川(旧荒川)の括弧書きが行われる事がある。

綾瀬川の川筋は、武蔵国内の足立郡埼玉郡の境界とされていた[2]

綾瀬川鐘か淵(1857年、歌川広重

近世

江戸時代初めまで、綾瀬川中下流は低湿地で通行が困難であった。また大雨が降るたびに川筋が変わり、一定しないことから「あやし川」と呼ばれ[4][5][6]、後に「綾瀬川」と変わっていったと伝えられる。まず伊奈忠次らによって堤が整備され、伊奈忠治らによって流量を調整するために武蔵国足立郡内匠新田(現・足立区南花畑の内匠橋付近)-葛飾郡小菅間に平行して新綾瀬川が開削された(現在の綾瀬川はこの新しい流路を指す)。流末は隅田川に合流していたが、1920年(大正9年)の荒川放水路の開削によって分断され、その左岸側に沿うように新流路が開削されて中川に合流するように改められ、1930年(昭和5年)に竣工している[7]

備前堤(綾瀬川流域)の開発
綾瀬川の雪(1915年、高橋松亭

慶長年間(1596年 - 1615年)には備前堤が築造され、綾瀬川が荒川から切り離され、綾瀬川流域の低湿地の開発と綾瀬川自身を流域の用水源としたという[8][注釈 2]

当時の日光街道(奥州街道)は、江戸付近の千住宿から、いったん東に回って松戸宿を経由し、西に戻って越ヶ谷宿に出てから北に向かっていた。寛永7年(1630年)に草加宿の設置が決まり、おそらく[要出典]これにあわせて、天和3年(1683年)に綾瀬川の直線化の工事が行なわれた。これ以後、日光街道は一部綾瀬川沿いを通るようになった。

舟運

綾瀬川は「緩流河川のために舟運には極めて都合よく、草加、蒲生、戸塚、縄手、妙見、簀の子、馬込の河岸場のほか積荷場が設置され、貨物の輸送が盛ん」であった[9]

環境

さいたま市見沼区丸ヶ崎地区 水神橋付近

20世紀半ばまでホタルが飛び交うほどのきれいな川であったが、高度成長期には生活排水や工業排水が流入し水質が悪化した。近年は徐々に回復し、コイフナサッパスズキなどが増えてきている。2007年にはアユも確認された。上流域では用水堰が設けられ、農業用水としての利水もある[10]

1980年から15年連続で全国の一級河川水質ランキングのワースト1位にランキングされ[11]、水質の改善は進んではいるが、2004年の調査で日本一汚れた川(2010年の調査では2年連続でワースト1位)となるなど、他の河川と比べると更なる改善が必要とされている。現在、埼玉高速鉄道線のトンネルを活用して荒川の水を引き込み、芝川などと同様、綾瀬川に注ぐことで水質を改善する工夫が行われている[11]

2006年には、公共用水域環境基準を超えるダイオキシン類環境省により検出され、対策が検討されている。支流の古綾瀬川の底質ダイオキシン類対策についても先進的な取り組みがなされている。

綾瀬川由来の町村名

町制施行の際に改称されたり編入された結果、現在はいずれも存在しないが、これによって本来は河川の名前であった「綾瀬」が綾瀬川流域のうちの特定の地域名または地区名として定着することになった。

  • 東京府南足立郡綾瀬村
  • 東京府南葛飾郡南綾瀬村
    • 1889年5月1日 - 下千葉村・上千葉村・小菅村・小谷野村・堀切村・柳原村などが合併して「南綾瀬村」が発足。
    • 1928年2月1日 - 町制を施行して「南綾瀬町」となる。
    • 1932年10月1日 - 東京市へ編入。葛飾区の一部となる。

支流

綾瀬川右岸に合流する原市沼川

橋梁

埼玉県
大堰橋付近(伊奈町小室地区)
風間橋付近(さいたま市岩槻区並木地区)
川口市東川口六丁目付近
蒲生大橋より夕景を撮影
埼玉県及び東京都
東京都
  • 桑袋大橋
  • 内匠橋(埼玉県道・東京都道102号平方東京線)- これより上流は国土交通省江戸川河川事務所、下流側は東京都が管理。
足立区内匠橋付近
綾瀬川と中川の合流点

調節池

  • 大門上池調節池
  • 大門下池調節池
  • 新和西調節池

脚注

注釈
  1. ^ 綾瀬川の水質改善を図る為、この放水路を活用し中川から導水する場合もある。
  2. ^ 備前堤の築造時期には慶長年間とする説の他に、中条堤、箕田郷堤等の築造と符号させて中世とする説、寛永年間伊奈忠治の築造とする説など主なものに3説ある(秋葉(1987),368p)。
出典
  1. ^ a b c d 綾瀬川、埼玉県、2010年3月19日、2015年12月7日閲覧。
  2. ^ a b c 流路変遷にまつわる荒川七ふしぎ” (PDF). 国土交通省 関東地方整備局 (2008年11月12日). 2013年1月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年7月16日閲覧。
  3. ^ 松浦『国土づくりの礎』 p40, 47。
  4. ^ 綾瀬川の歴史・文化 - 国土交通省 関東地方整備局
  5. ^ 区内を流れる川の名前(綾瀬川・毛長川)”. 足立区役所 (2017年7月8日). 2017年11月24日閲覧。
  6. ^ 本間清利 (1993, pp. 44–46)
  7. ^ 本間清利 (1993, pp. 58–59)
  8. ^ 秋葉(1987),368p
  9. ^ 秋葉、(1987年)、370頁。
  10. ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』角川書店、1980年7月8日、81頁。ISBN 4040011104 
  11. ^ a b 荒川水系河川整備基本方針” (PDF). 国土交通省. p. 70 (2002年4月4日). 2017年10月22日閲覧。

参考文献

  • 『国土づくりの礎』(松浦茂樹、1997年、鹿島出版会。ISBN 4-306-02320-6
  • 秋葉一男「第4章 近世社会の荒川 第1節 荒川流域の開発と瀬替え」『荒川 人文I -荒川総合調査報告書 2 -』(1987年)、365-393頁。
  • 本間清利『写真で見る埼玉東部今昔物語』望月印刷、1993年10月30日、44-63頁。 

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