戦後から高度経済成長期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/11 04:14 UTC 版)
「尾小屋鉱山」の記事における「戦後から高度経済成長期」の解説
太平洋戦争末期から終戦時には労働力や物資の欠乏から鉱山の生産量は低迷していったが、戦後は日本の工業化や経済成長による技術革新も相まって、採鉱、選鉱、製錬と日本鉱業の一貫した生産設備による高度な鉱山運営が行われ、1950年頃から1962年にかけては従業員1,000人前後、年間粗銅生産量が2,000t〜3,000tと推移し発展した。しかし、国内鉱山を取り巻く環境変化、特に貿易の自由化によりオーストラリアや南アメリカ諸国の銅や鉄の流通により、尾小屋鉱山でも1962年(昭和37年)には本山が閉山。日本鉱業から北陸鉱山(日本鉱業の関連会社)へと経営が移り、1971年(昭和46年)には大谷、金平坑などの鉱山支山も閉山された。
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