戦後と企業人としての履歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/11 23:51 UTC 版)
「カール=ゴットフリート・ノルトマン」の記事における「戦後と企業人としての履歴」の解説
第二次世界大戦後の1950年にノルトマンはダイムラー・ベンツ社に入社し、最初は販売の仕事に就いた。後に販売部門の長となり、1968年には全世界のサービスを統括する部門の長となった。1971年1月に北アメリカとカナダのメルセデス・ベンツの現地法人であるメルセデス・ベンツUSA(英語版)の社長に任命され、1981年1月に引退した。引退はしたものの重役(company director)の地位に留まった。メルセデス在職中にノルトマンは、後にダイムラー・ベンツ社のCEOとなるユルゲン・シュレンプの初期の教育担当を務めた。ノルトマンの指導力の下でアメリカ合衆国におけるメルセデスの販売量は1970年の3万台から1972年の4万3,600台へと増加し、0.4%の市場占有率を占めるまでになった。メルセデスは、1976年のジャクソンビルでの施設開設、1976年のユークリッド・カンパニー・オブ・オハイオ社(英語版)と1981年のフレイトライナー・トラックス社の買収といったように北アメリカ市場での存在感を更に増した。 1981年にノルトマンはスタンフォードで開催されたInternational Order of Characters (IOC)の航空シンポジウムに出席した。このシンポジウムの講師陣はノルトマンに加え元イギリス空軍のダグラス・バーダーとロバート・スタンフォード・タック、元アメリカ陸軍航空軍パイロットのロバート・ジョンソンという4名の第二次世界大戦時の元パイロットにより構成されていた。 ノルトマンは1982年7月22日にアメリカのコネチカット州 グリニッジで没した。妻のティナ(Tina)との間に息子のピーター(Peter)と娘のコリーヌ(Corinne)をもうけた。
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