戦後とテキサスの独立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 00:23 UTC 版)
「アラモの戦い」の記事における「戦後とテキサスの独立」の解説
テキサスの独立は3月2日に宣言された。暫定政府はデイビッド・G・バーネットを暫定大統領、ロレンソ・デ・サバラを副大統領に選んだ。アラモにいた者はこれを知ることはなかった。ヒューストンは上級司令官の地位を維持していた。アラモを陥落させたメキシコ軍は軍勢を数個に分けて、東下するヒューストン将軍を追った。テキサス軍はアラモの戦いの時点で兵力が2000人以下だった。ゴリアド、レフュジオ、マタモロス、サン・アントニオ・デ・ベハルと負け続け兵力は約1,000人まで減った。 4月21日のサンジャシントの戦いで1250人強の軍勢を率いたサンタ・アナの本隊を、910人の今日有名な「アラモを忘れるな! ゴリアドを忘れるな!」のときの声をあげたヒューストン将軍の軍勢が破った。メキシコ軍はその日の敗戦で約650人が死亡し、730人が捕虜になった。テクシャンの死亡は8人、負傷が18人だった。サンタ・アナは逃亡を図り自らの服を捨て一般の兵士の服を着た姿で捕虜になった。サンタ・アナはメキシコに撤退することになっていたヴィチェント・フィリソラやホセ・デ・ウレアの指揮下の軍勢に命令を下そうとした。 サンタ・アナが自らの命と引き換えにテキサスの独立を承認し、テキサス共和国が成立した。
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