戦後と復興の象徴として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/23 15:45 UTC 版)
「リンゴの唄」の記事における「戦後と復興の象徴として」の解説
この曲はテレビ番組などの資料映像として終戦直後の焼け跡の空撮、闇市、買い出し列車などが流れる際、必ずと言っていいほどBGMに使われる“定番BGM”としても知られている。1982年に学習研究社から発行された『証言の昭和史』6巻のタイトルは『焼跡に流れるリンゴの唄 占領下の日本』であった。 並木は阪神・淡路大震災(1995年1月17日発生)の最大の被災地である神戸市長田区への慰問に訪れた際にも、避難所となった学校の校庭に設けられた仮設ステージでこの曲を歌唱しており、その模様を載せた当時の新聞紙面には「焼け跡に再び『リンゴの唄』が流れた」という見出しが躍った。さらに2011年の東日本大震災では、復興を願いコミュニティFMに「りんごラジオ」と名付けられた。また、並木が死去した直後の2001年(平成13年)4月、モーニング娘。のメンバー(当時)・石川梨華が「今私たちがこうして歌えることの源流が並木さんの『リンゴの唄』であることを思うと、その先人の功績を忘れることなく歌い続けなければならない」という追悼談話を述べた。
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