戦後における「富士」の変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 18:19 UTC 版)
「富士 (列車)」の記事における「戦後における「富士」の変遷」の解説
第二次世界大戦後における「富士」の名称は、戦前に日本を代表する列車名称であったことから「それにふさわしい列車が出るまでは」と使用に慎重な姿勢が続いた。結局、1961年10月のダイヤ改正で列車の増発により東海道本線の電車特急に使用されたが「機会を逸した」との意見も少なからずあったとされる。 「機会を逸した」とは、例えば「九州特急」の仮称があった「あさかぜ」の設定時に「富士」の名称を用いることが検討されたが採用されず、「ビジネス特急」の仮称があった「こだま」の名称公募の際も"「富士」は将来別途使用の計画がある"という理由で温存され投票対象から除外された。 1950年(昭和25年)ごろ:新宿 - 河口湖間で運行された行楽臨時列車に一時「富士」の名称を使用したとされる。これについては、「ホリデー快速富士山」も参照されたい。 1961年(昭和36年)10月1日:東京 - 神戸・宇野間の151系電車特別急行列車に「富士」と命名。「つばめ」「はと」「こだま」と並び東海道本線の昼行特急列車群の一翼を担う。設定当時、「四国特急」の仮称があったとされる東京 - 宇野間を運行した「(下り)第1富士」、「(上り)第2富士」は当時夜行急行列車だった「瀬戸」と同じく四国連絡列車の1つとなり、その折り返し運用として大阪 - 宇野間を運行する特急「うずしお」が設定された。しかし、東京 - 神戸間を運行した「(下り)第2富士」、「(上り)第1富士」はそれまでの「(下り)第2こだま」、「(上り)第1こだま」を名称変更する形となった。 なお、東京 - 宇野間の765.7kmは当時の昼行電車特急列車運行区間としては最長であった。また、「富士」で号数がつく唯一の例となった。しかし、翌1962年(昭和37年)6月10日で「(下り)第1つばめ」、「(上り)第2つばめ」が広島駅へ延伸されたのに伴い「(下り)第1富士」、「(上り)第2富士」の持っていた最長記録は同列車の894.2kmに更新された。 1964年(昭和39年)4月24日:東海道本線草薙 - 静岡(当時)間を運行中の「(下り)第1富士」が踏切を横断中のダンプカーと衝突。この事故で大破した一等特別席のパーラーカーであるクロ151-7は廃車となった。詳細はクロ151-7脱線大破事故を参照。 9月30日:翌10月1日に控えた東海道新幹線開業により東海道本線の電車特急は新幹線列車へ移行し、全廃されることとなった。このため、昼行列車としての「富士」は廃止。「富士」の名称は下記の寝台特急に移行した。
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