戦後における都心部への延伸と輸送力強化とは? わかりやすく解説

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戦後における都心部への延伸と輸送力強化

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 16:46 UTC 版)

京阪本線」の記事における「戦後における都心部への延伸と輸送力強化」の解説

終戦直後1945年から1968年まで奈良電気鉄道線(現在の近鉄京都線)との相互直通運転行っていた。直通運転解消京阪側の1966年蒲生信号所での追突事故受けてATS設置近鉄京都線架線電圧1500V昇圧近鉄京阪双方列車本数増加丹波橋駅規模では対応できなくなった。などが原因と言われている(「奈良電気鉄道#京阪電気鉄道との直通運転」も参照)。 また1952年大和田駅から森ノ宮駅の間10.8kmの別線特許申請したり、1971年表明した京都市伏見区三栖から分岐する第2京阪線」の構想や、寝屋川信号所 - 交野駅(現・交野市駅)(約7km)の新線計画など、本線バイパスとなる路線立案したことがあったが、いずれも具体化せずに終わっている。 1960年代から70年代にかけ京阪電鉄開業時からの悲願ともいえる天満橋駅 - 淀屋橋駅間の地下線での延長天満橋駅 - 蒲生信号所間の高架化複々線化、「くずはローズタウン」の開発合わせた樟葉駅移転土居駅 - 寝屋川信号所間の高架複々線化事業着工などの大規模工事次々と行われた架線電圧の1500V昇圧1959年一度検討されたが、「1975年輸送量1959年当時輸送量200パーセントとしても600V電圧で7両連結対応できる」と昇圧見送った経緯がある。ところが1963年淀屋橋への延長工事竣工後、利用客増加予想はるかに上回り1965年1959年当時輸送量の2倍になり、1968年から1500Vへの昇圧準備工事始まり1969年4月重役会で正式に1500Vへの昇圧決定した当初京都市内地下化され路面電車との平面交差のなくなる1981年頃の実施予定されていたが、1973年1978年2度オイルショック影響工事費暴騰したことと輸送量伸び鈍化したことで1982年頃へと先送りされ、さらに繰り下げられた。準備から15年歳月250円もの費用をかけて1983年12月4日に1500Vへ昇圧果たした。1500V化は当時大手私鉄14社では最後である。 これは、前述京都市電大阪市電いずれも架線電圧600V)との平面交差が4か所残っていたことに加えて京津線80型回生制動から発生する余剰電力三条駅変電所通して京津線から京阪線へ両線の軌道分断後再送電していたことなども影響している。 1978年東福寺駅以南軌道法に基づく軌道から当時地方鉄道法に基づく地方鉄道変更された。地下化工事計画され1979年着工され東福寺駅 - 三条駅間は川端通建設京阪線地下化工事一体化して進めるため、軌道のまま残されたが、地下化後2013年12月20日許可鉄道変更されている。鴨川琵琶湖疏水挟まれ堤防上を走っていた同区間1987年地下化された。が同年7月15日集中豪雨のため四条駅北側鴨川流れこむ白川仮設堤防決壊し川の水地下線流れ込み五条駅浸水し地下区間終日運休した。翌1988年5月地下化に伴う付帯工事がすべて竣工川端通開通して浸水事故恐れはほぼ無くなった土居駅 - 寝屋川信号所間の高架複々線化工事最終段階かかっていた1980年2月20日枚方市駅 - 御殿山駅間で置き石による電車脱線事故京阪電気鉄道置石脱線事故)が発生し以後地上区間では不法侵入防止の柵がほぼ全区間わたって設けられた。この事故後、枚方市付近高架化工事本格化枚方市駅1993年高架化工事竣工したつづいて寝屋川市駅高架化計画進められ寝屋川市駅部分仮線を引く用地無く京阪初め直上高架方式採用され2002年高架化工事竣工した。これにより淀屋橋駅 - 寝屋川市駅間は寝屋川車庫への出入庫線除き立体交差化された。 さらに淀駅高架化され、現在も大阪府下高架改良計画があるが、110km/h走行が可能となった区間複々線土居駅 - 野江駅間のA線内側線)の速度制限なしの緩いカーブ1か所(土居駅 - 滝井駅間)を含む直線区間のみであり、100km/h以上で走行できる区間も、淀駅付近(105km/h制限)と、香里園駅 - 寝屋川市駅間の短い直線門真市駅 - 大和田駅間のA線半径600m級の100 - 105km/h制限カーブ連続する区間)、守口市駅構内付近大阪方(105km/h制限、ただし京都寄りにすぐ85km/h制限カーブ存在する)などの比較的緩いカーブを含む区間のみでありきわめて少ない。大阪府内開業時併用軌道だったために軌道改良が行われ大半区間高速運転が可能となったが、北浜駅京都側、枚方公園駅 - 枚方市駅間、橋本駅 - 木津川鉄橋間、龍谷大前深草駅 - 伏見稲荷駅間、東福寺駅 - 鳥羽街道駅間と半径200 - 220mの60km/h制限カーブ区間至る所存在し淀川堤防上の京都府道・大阪府道13号京都守口線(旧京阪国道)と並んで走る樟葉駅 - 橋本駅間は堤防に沿いに湾曲しカーブ随所残っており、いまだ「京阪電気鉄道カーブ会社」と揶揄されることもある。

※この「戦後における都心部への延伸と輸送力強化」の解説は、「京阪本線」の解説の一部です。
「戦後における都心部への延伸と輸送力強化」を含む「京阪本線」の記事については、「京阪本線」の概要を参照ください。

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